ランデスヘルシャフト(その他表記)Landesherrschaft

改訂新版 世界大百科事典 「ランデスヘルシャフト」の意味・わかりやすい解説

ランデスヘルシャフト
Landesherrschaft

ドイツ国制史の用語。中世ドイツの国制的発展は,イングランドやフランスのように,封建王政のもとでの統一国家形成の方向に進まず,皇帝頂点とする帝国ライヒ神聖ローマ帝国)の枠組みのなかで,諸侯のきわめて独立性の強い支配領域=領邦ラント)が多数形成され(領邦国家),ライヒとラントの国制的二重構造がつくりだされるという方向をたどった。こうした諸侯の領域的支配権力がランデスヘルシャフト(領邦支配権ないし領邦君主権)であり,それはみずからの上位に皇帝権力を認めつつも,領邦内部の統治にあたっては,それによって掣肘せいちゆう)されることがほとんどなかった。つまり,中世ドイツの重層的権力構造全体のなかで,それは皇帝権力に次ぐ最高の地位を占め,下位の局地的領主権力に対しては一個の君主権力として臨んだわけである。しかし,ランデスヘルシャフトは,まだ〈主権〉概念を適用しうるような統一的権力ではなく,内容的には,もろもろの国王大権や上級裁判権,罰令権などを含むきわめて多様で,しかも折々に異なる諸権利の複合体にすぎなかった。ただ,個々に大きな内容的多様性を含みつつも,それは帝国レーンとして皇帝から諸侯に授封されるという形で帝国国制の中に統一的な位置を与えられていた。

 ランデスヘルシャフトの形成過程はきわめて複雑であって,なんらかの要素(例えばグラーフ権力やグルントヘルシャフト)にその基礎を一元的に求めた旧学説と異なり,今日では,多様な諸権利を束ねて一つの実力的支配=保護権力を築いてゆく聖俗諸侯の政治的努力の過程が重要視されている。それは11世紀から12世紀にかけて聖界諸侯領で先進的に成立し,13世紀にはバイエルンオーストリアマイセンなど有力な世俗諸侯領において,とくに強力な展開を示したが,皇帝フリードリヒ2世(在位1220-50)の時代における二つの勅法は,そうしたランデスヘルの地位と権限とを帝国法的に承認したものとして画期的な意義をもっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランデスヘルシャフト」の意味・わかりやすい解説

ランデスヘルシャフト
Landesherrschaft

中世末期以降,神聖ローマ帝国内で各地の領邦 (ラント) が形成した地方規模の国家制度,国家主権のこと。ドイツの約 300のラントのなかにはプロシアやオーストリアのような完全な国家にまで発展したものもある。おのおのの発展過程,形態はさまざまであったが,中世以降のドイツ国制史上の最も特徴的な存在である。中世末期のドイツでは王権が急速に没落し,相対的に各地の諸侯 (ランデスヘル) の勢力が増大した。とりわけ 1220年と 31年の皇帝特許状によって,諸侯は政治的独立性を大幅に認められ,国王大権のほとんどを次々と獲得し,いわば種々雑多な権力の集合体としてランデスヘルシャフトを形成した。 1356年の金印勅書は,ラントの帝国からの事実上の独立を承認し,各ラントはその中央集権化を推進して権力の単一化をはかった。この段階以降のランデスヘルシャフトはランデスホーハイトとも呼ばれるが,中世末から 17世紀中頃までは,領邦内の特権諸身分によって制限された場合が多かった。このようなラント単位の権力の分裂の状況は,19世紀後半におけるドイツ統一まで続いた。

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