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領邦国家 りょうほうこっか Territorialstaat; Landesstaat

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

領邦国家
りょうほうこっか
Territorialstaat; Landesstaat

ドイツ統一 (1871) 以前にドイツに存在した諸独立国の呼称。その出発点となったのは 12世紀末の授封強制 (相続人が欠けた場合,または没収などにより最高封主の手中に帰した領土も,必ずだれかに再授しなければならないという中世ドイツの原則) で,さらに背景としては 11世紀後半から 12世紀初期の叙任権論争の時期に団体的治安維持の観念が芽生え,旧来の人的・封建的支配に代って裁判権保有者たる君主による領域支配が確立したことがあげられる。

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デジタル大辞泉の解説

りょうほう‐こっか〔リヤウハウコクカ〕【領邦国家】

中世末期から近世にかけて、神聖ローマ帝国を構成した小国家群。皇帝権の弱体化に伴って諸侯が事実上独立して形成し、その数は300余に及んだ。領邦。

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百科事典マイペディアの解説

領邦国家【りょうほうこっか】

13世紀以降神聖ローマ帝国またはドイツ王国を構成した地方国家を意味する。1871年のドイツ統一ドイツ帝国出現までのものを含むこともあるが,ふつうは神聖ローマ帝国の崩壊(1807年)までのものをさす。
→関連項目家産国家金印勅書ドイツ農民戦争

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世界大百科事典 第2版の解説

りょうほうこっか【領邦国家 Territorialstaat[ドイツ]】

ふつう13世紀ごろ以後,神聖ローマ帝国,もしくはドイツ王国を構成する部分国家的な諸侯領(ラント),およびそれに準ずる帝国都市をさす。テリトリウムTerritoriumとも呼ばれる。したがって神聖ローマ帝国が解体する1806年までのそれらについて用いられるが,71年のドイツ統一期までのドイツ諸邦について用いられることもある。しかし神聖ローマ帝国ないしはドイツ王国を構成しているか否かは,領邦国家という概念の絶対的条件ではなく,皇帝権または王権からの自立度が強く一円的な支配領域を形成する諸侯領は領邦国家といってよく,たとえばドイツ騎士修道会領も領邦国家と呼ばれる。

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大辞林 第三版の解説

りょうほうこっか【領邦国家】

神聖ローマ帝国で、皇帝の支配権から独立して地方諸侯が主権を行使した地方国家。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

領邦国家
りょうほうこっか
Territorialstaatドイツ語

中世後期から神聖ローマ帝国の解体(1806)まで、ドイツ王国=神聖ローマ帝国を構成した地方国家。単に領邦Territorium(ドイツ語)ともよばれる。三十年戦争を終結させたウェストファリア条約(1648)は、近世における神聖ローマ帝国(以下帝国と記す)の国制を決定したものであるが、それによれば帝国は300余り(この数は時代によって変動がある)の領邦国家と多数の帝国都市とによって構成され、各構成員は、外交権を含めてほぼ近代的国家主権に匹敵する自立的な権利をもつことが承認された。以後、帝国は多数の主権国家の連合体にすぎなくなったわけであるが、このような体制はいわば領邦国家の完成形態で、長い歴史的過程を経て形成されたものである。[平城照介]

領邦主権の発展

もともと中世のドイツ国家は、いくつかの部族の合成体として出発したものであり、領邦国家の分立への傾向(この傾向がドイツ分邦主義(パルテイキュラリスムス)とよばれる)をもっていたが、ザクセン朝、初期ザリエル朝の強力な王権は、種々の手段によりこの傾向を押さえてきた。それが表面化したのは聖職叙任権闘争で、この内乱期に聖俗の有力領主は、一円的な支配領域(terra、後の領邦)の形成に努めた。領国領主(dominus terrae、後の領邦君主)ということばはこの時代から用いられ始めるが、彼らが実力でつくりあげた権力が公的に承認されるに至ったのは、フリードリヒ2世の発布した二つの諸侯法、すなわち「聖界諸侯との協約」(1220)と「世俗諸侯の利益のための取決め」(1231/32)においてである。シチリアを中心にイタリア経営に専心していたフリードリヒ2世は、ドイツ国内の統治をゆだねていた息子ハインリヒ7世(ドイツ国王)と諸侯間の紛争を解決するため、両諸侯法で大幅な譲歩を行い、諸侯dominus terraeに関税徴収権、貨幣鋳造権、築城権、裁判高権(諸侯領内の領主たちのもつ裁判権に対する上級審としての機能)等、本来リガリア(国王の特権)に属する諸権利を認めた。これにより将来、領邦主権Landeshoheitに発展する君主権の基礎が置かれ、ホーエンシュタウフェン朝の滅亡とそれに続く大空位時代(1256~73)に領邦君主権はいっそう強化され、ハプスブルク家のルドルフ1世は、失われたリガリアの回収に努めたが、諸侯の選挙により王権が有力家門の間を転々と移動するという政情(いわゆる跳躍選挙時代)が、その政策の貫徹を妨げ、ルドルフ1世が有力諸侯に「不上訴特権」(諸侯の裁判権に不服でも、国王裁判所への上訴を禁止する特権)を与えたことも、諸侯の裁判高権を完成させる結果となった。7人の選帝侯による皇帝選挙の制度を定めたカール4世の金印勅書発布(1348)も、他方では選帝侯をはじめ聖俗の有力諸侯のもつ大幅な特権を再確認し、領邦主権確立への道を開いた。その後宗教改革時代には、アウクスブルクの和議(1555)により「支配者の信仰が領内を支配する」との原則が認められ、新教派諸侯の領邦では、君主は領内の教会に対する統制権をも獲得して(領邦教会制の成立)、ウェストファリア条約で完成する領邦国家体制への道を邁進(まいしん)することになる。[平城照介]

領邦国家の実体

領邦国家の数には時代によって変動があり、その大きさもまちまちであった。ホーエンツォレルン家のブランデンブルク=プロイセン、ハプスブルク家のオーストリア、ウィッテルスバッハ家のバイエルン等をはじめいくつかの世俗大諸侯領、ケルン、マインツ、トリールの三大司教領やウュルツブルク司教領のような若干の聖界大諸侯領を除けば、大部分の領邦は、領土の大きさからいっても、統治機構の面からみても、国家という名に値しない、家産的な小国家にすぎなかった。一般に近世前期のヨーロッパ諸国家は等族制(=身分制)的国制をとっていたが、ドイツの大領邦国家においても事情は同じであり、領邦の内部は君主の直轄領(カンマー)と等族の所領に分かれていた。等族と領邦君主とはもともと封建的主従関係で結ばれていたが、等族制国家の段階になると、等族相互間の横の結合が強まり、領邦議会(身分制議会)に結集して、君主と対抗する傾向が顕著になった。そこで争われた中心的争点は、課税をめぐる問題であり、君主は領邦議会の承認なしに新しく課税することはできないという原則が形成された。そのほか君主の地位の相続や結婚等、さらに戦争や外交問題、法の改廃等の政治上の重要事項も、領邦議会の審議が必要とされた。近世後期になると、プロイセンやオーストリアなどのいくつかの大領邦で、等族の諸権利、とくに所領内の領民に対する支配権を空洞化し、官僚制的統治組織を領邦の全領土に浸透させようとする努力が成功して、領邦君主の絶対主義的支配が確立する。とくにフリードリヒ大王治下のプロイセンは、啓蒙(けいもう)的絶対主義国家の典型とされる。[平城照介]

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世界大百科事典内の領邦国家の言及

【ドイツ】より

…宗教改革を遂行した北東ドイツとローマ・カトリックにとどまった西南ドイツとの間には以後大きな溝がのこり,今日に至っている点が無視しえないところである。【阿部 謹也】
[宗教改革をとりこんだ領邦国家]
 ルターの宗教改革は,本来純粋に宗教上の問題であるはずであった。しかしこの世における教会制度の改革は世俗の権力と深くかかわり,しかもドイツにおいては,世俗権力が皇帝の下に一元化されてはいないという特殊な事情があった。…

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