リエゴ・イ・ヌニェス
Rafael del Riego y Núñez
生没年:1785-1823
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リエゴ・イ・ヌニェス
Riego y Núñez, Rafael del
[生]1785.11.24. サンタマリアデトニャ
[没]1823.11.7. マドリード
スペインの革命家,軍人。半島戦争に参加しフランス軍の捕虜となったが,逃亡して帰国 (1814) 。 1820年革命の指導者となり,カディス近郊に集結したアストゥリアス連隊にプロヌンシアミエントを出し,民主的な 1812年憲法の復活を宣言し,実現させた。 23年再度フランス軍の捕虜となり,王党派により処刑された。『リエゴの歌』 Himno de Riegoは彼の愛国心に捧げられたスペインのラ・マルセイエーズといわれている。
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「リエゴイヌニェス」の意味・わかりやすい解説
リエゴ・イ・ヌニェス
スペインの軍人,自由主義者で愛国者。1820年,本来アメリカ植民地の独立運動鎮圧に向かう部隊を率いて,セビリア市付近でクーデタを起こす。〈1812年自由主義憲法〉支持を旗印にマドリード入城,絶対王政下のフェルナンド7世にその憲法復活を認めさせ,いわゆる立憲革命に成功した。しかし,1823年反革命で逮捕され処刑。彼の武勇は革命歌《リエゴの歌》で讃えられ,後に第二共和国の国歌となる。
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リエゴ・イ・ヌニェス
生年月日:1785年11月24日
スペインの革命家,軍人
1823年没
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世界大百科事典(旧版)内のリエゴイヌニェスの言及
【スペイン】より
…これに対して,1812年憲法を革命の旗印とした自由主義派の反攻が功を奏したのは20年であった。この年,自由主義派の[リエゴ・イ・ヌニェス]将軍はカディスの近くで蜂起し,自由主義政権(‐1823)を樹立させた。しかし,革命が急進化すると,フェルナンド7世は神聖同盟へ援軍を要請し,その求めに応じた〈ルイ聖王の十万の兵士〉と呼ばれる外国の軍隊が侵入して自由主義政府を打倒した。…
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