スペインのコンキスタドール。イダルゴ(下級貴族)の子としてスペインのエストレマドゥラ地方に生まれ,一時サラマンカ大学に学ぶ。1504年イスパニオラ島へ渡り,11年ディエゴ・ベラスケスとともにキューバ島征服に参加。18年,キューバ総督ベラスケスより第3次メキシコ沿岸地域遠征隊の隊長に任じられた。19年2月,出航停止令を無視し,スペイン人,インディオ,黒人など総勢600人余りの部下を率いてハバナを出港。コスメル島を経てユカタン半島をメキシコ湾岸沿いに進み,タバスコでインディオ女性マリンチェを贈られた。4月,サン・フアン・デ・ウルアに達し,アステカ王国の情報を得て,ベラクルス市を建設後,国王カルロス1世にアステカ征服の許可を求める書翰を送る。8月,内陸へ進軍し,途中アステカ族と対峙するトラスカラ族を味方とし,チョルラでの激戦ののち,11月アステカ王国の首都テノチティトラン(現,メキシコ市)に入り,モクテスマ2世を幽閉。翌年4月,ベラスケスが派遣した追討軍を迎え討つためベラクルスに向かい,6月,追討軍を打破して味方とし,首都へ帰還するが,首都ではインディオの武装蜂起が起こっていた。7月30日,インディオの反乱鎮圧に失敗し,首都を退却。この事件は〈悲しき夜〉と呼ばれ,約1000名のスペイン人が死亡した。のちトラスカラ地方で軍を建て直し,21年夏テノチティトランを水陸両面から攻囲し,8月13日クアウテモックを捕らえ,首都を陥落させた(アステカ王国の滅亡)。22年10月,国王よりヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の総督・総監に任じられる。のちエンコミエンダの分配等をめぐって王室官吏と対立し,27年自己の大義を主張するためスペインへ帰った。29年4月,国王よりオアハカ盆地侯に叙せられ,22ヵ村,2万3000名のインディオを与えられたが,征服地の統治権は授与されなかった。30年,メキシコに戻り,モレロス地方の領地を中心に製糖業や穀物・綿花・果樹栽培に大々的に乗り出し,ヌエバ・エスパーニャ最大の製糖業者,新大陸最大のエンコメンデロとなる一方,新しい発見事業にも着手し,36年,バハ・カリフォルニア(現,カリフォルニア半島の一部)を発見。しかし侯領の管轄権をめぐって王室側と対立し,40年自己の権利と財産を回復する目的でスペインへ帰るが,征服地に王権の確立を目ざす王室は,彼の主張を認めなかった。のちアルジェリア遠征に加わり,47年12月,セビリャ近郊で没した。遺言に従い,遺体はメキシコに埋葬された(1566)。
コルテスは軍事的征服のみならず,〈新大陸のモーゼ〉とさえ評価されるほど,インディオの改宗にも熱意を示した典型的なコンキスタドールであった。なお,国王に書き送った《報告書簡Cartas de Relación》はアステカ王国の征服のみならず,当時のインディオの日常生活を知るうえでも貴重な史料となっている。
執筆者:染田 秀藤
中世から近世にかけてスペインの諸王国,ポルトガルで存続した身分制議会。西ゴート時代に起源をもつ,高位聖職者・高級貴族の代表によって構成された国王の封臣会議(クリア・レギア)に,都市代表の参加が原則となって成立した。その成立年代は,レオン1188年,カタルニャ1214年など,いずれも12~13世紀である。コルテスは,基本的に課税協賛権,立法請願権,王位継承への干渉権を有したが,その政治的実効は,各地の王権,聖職者・貴族,都市の社会的・経済的勢力関係によって,歴史的・地域的に異なる。カスティリャ王国では,都市自治体の発展を背景に14~15世紀が最盛期であり,王権の伸張と共に衰退した。特に16世紀中ごろからは,18都市の代表が国王の臨時課税徴収を承認するだけの機関に転化した。アラゴン連合王国に統合したアラゴン,カタルニャ,バレンシアは,統合後も別個に議会を開催した。また14世紀以降,それぞれ議会の常設代表部が組織され,王権を制約する政治的中核となった。カタルニャとバレンシアでは都市経済の実力に支えられて都市代表の力が優勢であり,アラゴンでは大・小貴族が別々に代表を送った。アラゴン連合王国の各コルテスは,15世紀末スペイン統一王朝成立後も維持されたが,18世紀初めの王位継承戦争の結果廃止された。スペイン,ポルトガルには19世紀になって近代的国民議会が成立するが,それもコルテスの名称をもつ。
執筆者:立石 博高
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スペインのコンキスタドレス(征服者)。エストレマドゥーラの貴族の家に生まれ、サラマンカ大学に学ぶ。18歳で海を渡り、西インド諸島サント・ドミンゴへ来島(1504)。1511年ベラスケスのキューバ征服に参加、さらにメキシコ征服では指揮官に任命され、各地で兵員を増強し、11隻の船団に660人の兵員、砲14門を擁して1519年キューバ西端サン・アントニオ岬を出帆、ユカタン半島に向かった。暴風雨や先住民の反抗にあったりしたが、結局4万の先住民軍を降伏させて講和した。このときに贈られた20人の女奴隷の1人マリナルと結婚して航海を続け、アステカの首都に近い港にベラクルスを建設、命名し、永久植民地とした(1519)。モクテスマ2世のメキシコ地方は政情騒然としていたが、コルテスの征服軍に頑強に抵抗。一方キューバ総督ベラスケスとの関係が悪化し、ハイチ総督ディエゴ・コロンの仲裁も空しく、ベラスケスはコルテス追討のためナルバエスを派遣(1520)したが、コルテスは逆にこれを急襲、ナルバエスを配下に加えた。その後、メキシコ側と苦戦のすえ、アステカ文化を破壊、先住民を虐殺してこれを平定(1521)。ヌエバ・エスパーニャ植民地の経営に意を用い、さらに南方マヤ、西方の未開地を探検、アジアへの道を探索したが、大きな成果をみず、1540年帰国した。
[飯塚一郎]
中世後半スペインの身分制議会。王と僧族・貴族代表からなる統治助言・承認機関「クリア・レヒア」に平民(都市自由民)代表が新たに加わって成立。1188年レオン王国で初めて開催された。これはドイツ、イギリス、フランスに半世紀から1世紀先んじている。租税負担同意の対価として王権の制約を求めることが基本的機能で、のち立法機能も備えるようになった。カスティーリャでは僧族、貴族、平民の3身分による構成であったが、身分別審議制はなく、不定期開催で立法機能の確立をみないまま、貴族間抗争の激化のため、14世紀には開催不能となった。コムニダーデスの乱(1520~21)以後は、王領地内18の都市代表のみの参加となり、翼賛的機関となった。アラゴンでは大貴族、騎士、聖職、平民の4身分からなり、厳格な身分別審議制であった。王権の不法行為の有無がつねに第一議題とされ、13世紀に立法権を確立、14世紀からは定期開催(隔年)となって、王権監視、制約の機能を強めたが、スペイン継承戦争に勝利したフェリペ5世により廃止された。
[山本 哲]
1485~1547
南スペイン,メデリン生まれのメキシコ征服者。1511年キューバの征服に参加したが,ユカタン,メキシコの発見を聞いてその探検を企て,キューバ総督の反対を押し切って19年メキシコに上陸,21年8月アステカの首都テノチティトランを完全占領した。翌年10月メキシコ総督に任じられたが,35年ヌエバ・エスパニャ副王領の設定とともに権力から疎外され,セビリャ近郊で没した。彼が国王に宛てた征服の報告書簡は,文学史上で重要な作品となっている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…快適な気候,周囲の山々と花の美しい観光都市。アステカ貴族の習慣に従って,コルテスもここに住み,宮殿を建設した。日本の〈二十六聖人〉の壁画のある聖堂,18世紀の銀山王ボルダの庭園がある。…
… カリブ海地域でのこうした植民地経営の発足と並行して,新大陸本土への進出も試みられた。その最大のものは18年に始まったエルナン・コルテスのメキシコ遠征である。彼は19年アステカ王国を滅ぼし,莫大な黄金を入手した。…
…巨大な戦士の顔を刻んだ石彫で有名なオルメカ文化開花の地。1518年にグリハルバJuan de Grijalva(1480?‐1527)が当地を探検し,19年H.コルテスがメキシコ征服のため,最初に原住民と衝突し,勝利した土地である。【栗原 尚子】。…
…7世紀から12世紀初めまでトルテカの都アチョランとして繁栄し,その後も宗教的中心地であった。1519年,アステカ征服に向かうH.コルテスによって住民の大虐殺と都市の破壊がなされた。コルテスは当時の家屋数を2万と記録しているが,1931年以降の発掘で当時の全貌が明らかになりつつある。…
…人口2万6000(1978)。1535年H.コルテスはここからカリフォルニア半島探検に出発している。植民地時代には,フィリピンとの交易の中継港として発達。…
…その起源は1521年のスペイン人によるアステカ王国の征服にさかのぼる。スペインの征服者エルナン・コルテス自身,先住民の女性マリンチェとの間に子を残しているので,彼はその意味でも混血の国メキシコの祖といえよう。しかしその後,300年にわたる植民地時代は,スペイン人を支配者とし,先住民を被征服民とする階級差が大きい二元的社会であった。…
…主要な産業はバルサス川支流域の農業で,米,トウモロコシ,コーヒー,サトウキビ,果実が主要な農産物。とくにサトウキビはH.コルテスによって新大陸のこの地に初めて導入され,この国を代表するサカテペックの製糖工場の起源となる。観光業も主要な産業で,クエルナバカがその中心。…
※「コルテス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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