リバーズ(William Halse Rivers)
りばーず
William Halse Rivers
(1864―1922)
イギリスの生理・心理学者、人類学者。ロンドンで医学を修めたのち、知覚の研究や薬物の影響などの研究に従事し、1897年イギリス実験心理学研究所所長となる。1898年ケンブリッジ大学トーレス海峡調査団に心理学者として参加したことから人類学に関心を深め、その後も1901~1902年に行われた南インドの民族集団トダの現地調査をはじめ、数回にわたるメラネシア調査(1911、1914)に従事した。第一次世界大戦中は軍の病院で戦争神経症の研究を行い、その後は主として精神病理学の方面での研究に力を注いだ。イギリスの新フロイト派の代表とされている。人類学の領域では、親族名称体系が親族体系や社会組織の諸側面と緊密な関係にたっていることを強調し、系譜を利用して親族に関する情報を効果的に収集し、親族関係を分析するという「系譜的方法」を現地調査を通じて練り上げた。この方法はその後の社会人類学的調査における重要な方法の一つとなった。当初は進化論、のちにはエリオット・スミスの影響を受けて伝播(でんぱ)論による、対象社会の歴史的再構成に力を注いだ。主著に『親族と社会組織』(1914)がある。
[濱本 満 2019年1月21日]
『小川正恭訳『親族と社会組織』(1978・弘文堂)』
リバーズ(Larry Rivers)
りばーず
Larry Rivers
(1923―2002)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
リバーズ
William Halse Rivers Rivers
生没年:1864-1922
イギリスの心理学者,人類学者。医学教育を受けた後,感覚生理学とくに色覚の研究者として出発し,1897年にはイギリス実験心理学研究所長になった。しかし,翌年A.C.ハッドンの率いるケンブリッジ大学トーレス海峡探検隊に心理学班長として参加して以後,人類学的関心を深めるようになった。その後も南インドのトダ族(1901-02),メラネシア(1908,1914)の調査を行い,すぐれた民族誌的報告を発表し,同時に,〈系譜的方法〉を用いながら親族名称体系がいかに婚姻規制をはじめとする親族関係の諸側面,さらには社会組織と関連するかについての分析を進めた。この間に研究上の立場は進化論から伝播論へと変わっていった。第1次世界大戦中に戦争神経症の研究に従事してから,新フロイト派の心理学者としての業績も多く発表された。主要な著作として,トーレス海峡調査報告書のほかに《トダ族》(1906),《親族と社会組織》(1914),《メラネシア社会の歴史》2巻(1914)などがある。
執筆者:小川 正恭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
リバーズ(伯)
リバーズ[はく]
Rivers, Richard Woodville(Wydeville), 1st Earl
[生]?
[没]1469.8.12. ウォリックシャー,ケニルワース
イギリスの貴族。エドワード4世の妃エリザベス・ウッドビルの父。百年戦争で騎士として名声を博しベッドフォード公未亡人との結婚で富を得,初代リバーズ男爵 (のち伯爵) となった (1448) 。バラ戦争では,初めヘンリー6世を支持し,タウトンの戦闘に参加したが,やがてエドワード4世の側と和し,長女エリザベスを王妃にし (64) ,外戚として勢威をふるった。王と結ぶ一族の繁栄が旧貴族 (特にウォリック〈伯〉リチャード・ネビル) の反感を買い,王派と旧貴族の内乱になったとき (69) ,捕えられ,斬首された。
リバーズ
Rivers, William Halse Rivers
[生]1864.3.12. ルートン
[没]1922.6.4. ケンブリッジ
イギリスの医者,心理・生理学者,人類学者。ロンドンのセントバーソロミュー病院で医学を修め,知覚の研究や薬物の影響などを研究,1897年イギリス実験心理学研究所所長。 98年ケンブリッジ大学のトレス海峡探検隊に参加,1901~02年南インドのトダ族の実地調査を行なった。その後も数回メラネシアを訪れて,おもに親族組織を研究。 08年学士院会員。第1次世界大戦中は陸軍の神経科医をつとめ,その後は医学的心理学の研究に専念した。主著『親族と社会組織』 Kinship and Social Organization (1914) 。
リバーズ(伯)
リバーズ[はく]
Rivers, Anthony Woodville(Wydeville), 2nd Earl
[生]1440頃
[没]1483.6.25.
イギリスの貴族。父は初代伯リチャード・ウッドビル。ブルゴーニュ宮廷の華麗な文化に魅せられた貴公子たちの中心的存在で,ブルゴーニュ公の庶子アントニーとのみごとな騎馬試合 (1467) は,世人の語り草となった。エドワード4世の妃の兄弟として王の亡命やバラ戦争に際して多くの戦闘に従ったが,政治的資質としてはみるべきものがなく,文人として知られた。皇太子の教育係となった (73) が,エドワード4世の死 (83.4.) 後,グロスター公リチャード (のちのリチャード3世) に反逆罪の口実で捕えられ,処刑された。
リバーズ
Rivers, Thomas Milton
[生]1888.9.3. ジョージア,ジョンズバラ
[没]1962.5.12. ニューヨーク
アメリカのウイルス学者。小児麻痺予防ワクチン開発の中心的人物。 1915年ジョンズ・ホプキンズ大学卒業,22年ロックフェラー医学研究所に入り,55年引退するまでその関連病院の理事をつとめた。インフルエンザ,水痘などのウイルス性伝染病を研究し続け,38年全アメリカ小児麻痺基金のウイルス研究委員会委員長に推され,マーチ・オブ・ダイムズ (小児麻痺征服のための 10セント銀貨寄付運動) を組織,全アメリカ国民の支持を集め,小児麻痺予防のためのソーク,セービンの両ワクチンの開発に寄与した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のリバーズの言及
【親族名称】より
…
[親族名称の社会学的解釈]
モーガンの親族名称と婚姻に関する仮説は否定されたが,社会学的諸原理によって親族名称の多様性を説明しようとする試みは,社会人類学の中心的テーマの一つになってきた。マクレナンJohn F.McLennanは親族名称が社会的権利・義務にかかわらない単なる挨拶の体系だと主張したが,リバーズWilliam H.Riversは逆に,親族名称が社会学的諸条件によって厳密に規定されるとして,親族名称と社会学的諸原理との関連を重視した。サピアEdward Sapirは[レビレート]婚(兄弟の未亡人との結婚)や[ソロレート]婚(不妊または死亡した妻の姉妹との結婚)と双岐融合型の名称体系を関連づけた。…
【親族名称】より
…
[親族名称の社会学的解釈]
モーガンの親族名称と婚姻に関する仮説は否定されたが,社会学的諸原理によって親族名称の多様性を説明しようとする試みは,社会人類学の中心的テーマの一つになってきた。マクレナンJohn F.McLennanは親族名称が社会的権利・義務にかかわらない単なる挨拶の体系だと主張したが,リバーズWilliam H.Riversは逆に,親族名称が社会学的諸条件によって厳密に規定されるとして,親族名称と社会学的諸原理との関連を重視した。サピアEdward Sapirは[レビレート]婚(兄弟の未亡人との結婚)や[ソロレート]婚(不妊または死亡した妻の姉妹との結婚)と双岐融合型の名称体系を関連づけた。…
※「リバーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」