日本大百科全書(ニッポニカ) 「伝播主義」の意味・わかりやすい解説
伝播主義
でんぱしゅぎ
diffusionism
民族学(文化人類学)において、文化間の類似を原則として伝播の結果として説明する立場をさす。この立場は、19世紀末から20世紀前半において、ヨーロッパ、アメリカにおいて盛んとなった。それは、19世紀後半に支配的だった文化や社会についての進化論的学説が、十分証明されていない空想的なシェーマの設定に走ったのに対する反動であった。伝播主義には、ドイツ・オーストリアの文化圏説、イギリスの太陽巨石文化説、アメリカのボアズらの歴史主義などのさまざまな学派があったが、文化要素の空間的分布状態を重視し、そこから歴史を読み取ろうとする見地においては共通している。この分布から歴史を再構成するにあたっての方法論は、ことにドイツ・オーストリアの文化圏説において発達し、その代表作はグレープナーの『民族学方法論』(1911)であった。文化圏説はドイツのラッツェル、フロベニウスから始まり、グレープナーのオセアニア研究、アンカーマンのアフリカ研究を基にして、シュミットによって世界的な規模における初期人類文化史の壮大な体系にまとめられた。イギリスの太陽巨石文化説は、解剖学者スミスが提唱し、ペリーが発展させたもので、古代エジプトが世界の文明の源泉で、ここからの影響で世界各地に太陽崇拝や巨石文化などの高い文化要素が広がったと主張した。アメリカでは、ボアズとその弟子クローバー、ウィスラーが、カリフォルニアなど比較的限られた地域内での緻密(ちみつ)な分布研究を基にしての文化史再構成を試みた。伝播や移動が人類文化史に果たした大きな役割を強調したことは伝播主義の功績で、また限られた地域の研究では優れた成果を生んだが、文化圏説や太陽巨石文化説の大体系は失敗であって、伝播主義の学界における地位を弱める結果となった。
[大林太良]
『W・シュミット、W・コッパース著、大野俊一訳『民族と文化』上下(1957、70・河出書房新社)』▽『綾部恒雄編『文化人類学15の理論』(中公新書)』