オーストリア中北部,オーバーエスターライヒ州の州都。人口18万7112(2005)。ウィーンの西方160km,ドナウ川右岸を中心に発達。オーストリア鉄鋼連盟の設立(1938),酸素上吹転炉法(LD法)の開発(1953)で屈指の工業都市に躍進した。広い河港を擁し,鉄鋼,化学,機械,造船,電気,製材,タバコ,ガラスの諸工業が発達する。1783年以来,司教座の所在地。美術学校,州立図書館,劇場をもつ地方文化の中心地。ロマネスク風に改装した,オーストリア最古の聖マルティン聖堂(8世紀),初期バロック式のイエズス会聖堂(1669-78),ルネサンス風の州会議事堂(1546-71,1800改修),城館(8世紀末の砦を17世紀初めに改造)などがある。
1世紀にすでにローマ軍が駐屯地を設営,9世紀に王領地となり,スラブ系諸部族とのドナウ川交易の拠点となった。10世紀初めに商人定住区が成立,12世紀にパッサウ司教,次いで司教のミニステリアーレ(家人)が領有。1210年ごろオーストリア大公が買いとった。13世紀中に都市に成長し,関税・市場税収入と都市君主たるハプスブルク家の庇護で繁栄した。1490年自治を許され,オーバーエスターライヒ邦の首都に昇格。1600年以後,反宗教改革の運動が浸透した。72年創立の毛織物工場は,重商主義理念の所産で,18世紀には国営化され,一時は5万人を雇用した。1837-38年ドナウ川に蒸気船が就航し,58年ウィーン間との鉄道開通により経済圏が拡大した。第2次大戦中アメリカ軍の空襲で大工業は壊滅したが,戦後の国有化で復興した。1945-55年は,アメリカ占領地区とソ連占領地区に二分された。
執筆者:木村 豊
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オーストリア北部、オーバーエスターライヒ州の州都。標高264メートルの地にあり、市街はドナウ川にまたがって発達する。人口18万3504(2001)で、首都ウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第三の都市。すでにローマ時代に要塞(ようさい)があり、レンティアLentiaの名でよばれ、1210年にバーベンベルク家の所領になってから都市域が拡大し、ドナウ川による東西交通と、ザルツカンマーグートからボヘミアに至る「塩の道」の南北交通との交差点として栄えてきた。1938年に建設された製鉄工場を中心に、第二次世界大戦中から工業の集積があり、オーストリア有数の重化学工業都市である。鉄鋼、化学肥料、薬品、機械、船舶、タバコ、ガラス製品など多様な製品を産する。旧市域には大聖堂、王宮博物館、州庁舎などバロック、ゴシック、ルネサンスの様式の建物が残る。ほかにリンツ城、8世紀のロマネスク様式を残す聖マルティン教会などがある。
[前島郁雄]
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…ドナウ川が流れる地域は南方に向かってオーストリアの農業地帯がひろがっており,住民の大半は農業を営んでいるが,森林地帯も州の40%に及んでいる。州都のリンツはドナウ川中流に位置している人口20万の重工業の中心地である。ここの鋼鉄製造業は,ツィスタースドルフZistersdorfの油田とならんで,オーストリア産業の根幹である。…
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