日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルウィット」の意味・わかりやすい解説
ルウィット
るうぃっと
Sol LeWitt
(1928―2007)
アメリカの美術家。コネティカット州ハートフォード生まれ。一定の数的な法則にしたがった立体、壁画などを制作した。ミニマル・アートとコンセプチュアル・アートを架橋するアーティスト。
1949年シラキュース大学の美術専攻を卒業。51年朝鮮戦争で兵役につき、ポスター制作などを担当する特別部隊に配属される。戦争が終結した53年、兵役を解かれニューヨークに移る。ここで雑誌のデザイナーを経て、55年から建築家I・M・ペイの建築事務所に勤務。建築事務所の仕事の進め方をみて、ルウィットが感じたことの一つは、芸術家はかならずしも自分自身の手を使って作品をつくらなくていい、ということだったという。また後のルウィットの作品に一貫する形態の明瞭(めいりょう)さは、こうしたデザインや建築といった分野での勤務経験と無縁ではない。
この間もルウィットは絵画の制作を続けていたが、そのスタイルはすでに具象から抽象表現主義に影響されたものへと移っていた。1960年から65年にかけてのルウィットの作品の展開は、当時のアメリカ美術の展開をそっくりなぞるかのようである。抽象表現主義風のスタイルは、ジャスパー・ジョーンズ流の文字を取り入れたグラフィカルなレリーフ作品を経て、ミニマル・アートのような立体作品制作へと続いた。1960年MoMA(ニューヨーク近代美術館)で働くようになり、そこで働いていた仲間たちを通じて、ニューヨークの若手芸術家のサークルに出入りする。
ルウィットの独自性が最初に鮮やかに示されたのは、1960年代の後半から制作が始まる「透(す)けた立方体」シリーズである。これは12辺を細い角材で組んだ立方体のモジュールを組み合わせてゆく、ジャングルジムに似たものだった。モジュールの数は、たとえば1個、2個、3個というようにある数列によって決定される。そしてこの数的な構造がもっとも鮮烈な印象を与えるという点で「透けた立方体」シリーズの一つの到達点は、69年の作品『不完全な透けた立方体の変異集』である。これは立方体を構成する12辺のうち、3辺から11辺までの辺を用いて、どれだけの種類の不完全な立方体が可能か、それらをすべて網羅して線画、あるいは実際に立体をつくって提示した。
ルウィットはまたこれらの作品の背景を説明するかのように、1967年「コンセプチュアル・アートについての文章」Paragraphs on Conceptual Artという一文を発表している。コンセプチュアル・アート=概念芸術においては、「思考あるいは概念が作品の最重要な要素であり」「計画と決定は全部あらかじめ行われ、制作は大した問題ではなくなる」と論じたその一文はまた、「コンセプチュアル・アート」という語の最初の使用例とされている。
以降のルウィットの作品は、次の二つに大別できる。一つは「透けた立方体」シリーズとその延長にある立体作品。ここにはスケールを大きくし、また鉄や石などを素材とすることによって、屋外の公共空間への展示を可能にしたものも含まれる。二つめは、やはりある数的な法則にのっとったパターンを描く絵画。その中心は、直接建物の壁面に描かれる壁画であり、これははじめは鉛筆などによる線の集積で壁面を埋めるものだったが、後に多色で面を塗るタイプに変化した。なおこの壁画の作品は、多くが「こうした数的なルールにのっとって壁に描いてゆくこと」という指示書のかたちで制作されている。だからそれは、たとえば展覧会の会期が終わって描かれたものが消されてしまうときでも、「作品」としてはけっして消えることがないのである。
[林 卓行]
『Paragraphs on Conceptual Art (in Art Forum, June 1967, John Irwin, New York)』▽『トニー・ゴドフリー著、木幡和枝訳『コンセプチュアル・アート』(2001・岩波書店)』