改訂新版 世界大百科事典 「ルバ王国」の意味・わかりやすい解説
ルバ王国 (ルバおうこく)
アフリカ中部,現在のコンゴ民主共和国南部のシャバ州を中心に形成された王国。ルバ族Lubaを中心にした多様な民族集団,従属王国,首長領を影響下に収めたためルバ帝国とも呼ばれる。緊密な関係のあった西隣のルンダ王国Lunda(あるいはルンダ帝国)とともに,ルバ・ルンダ文化の影響は,コンゴ民主共和国南部の熱帯雨林の南の縁にあたるサバンナ地帯全体(タンガニーカ湖西岸まで)に及んだ。ルバ王国はアフリカ中央部を横断する通商ルートの中央部を占め,19世紀に最盛期に達したが,19世紀末には外部勢力(アラブの奴隷狩り,西欧列強)の影響や内部での王位継承をめぐる紛争で弱体化し解体した。
王国形成期の歴史は,現在まで伝えられる口頭伝承によって再構成され,16世紀初頭にまでさかのぼるとされるが,確定しているわけではない。考古学の成果によって,すでに9世紀初頭にはルバ王国の故地であるルアラバ川上流の湖沼地帯に鉄,銅の加工技術をもち農業と漁業を行い,東のインド洋沿岸地域と通商する人々が集中して居住していたことが明らかにされている。鉄,銅そして湖沼の泥水から精製される塩はルバ王国の重要な交易品であった。
今日まで伝えられた建国神話では,最初コンゴロ(巨大な蛇身としての虹の意)という名の王が地域の諸族を支配したとされる。コンゴロ王の時代(15~16世紀初頭),東方から鉄の技術や王の作法(食事をする姿を見せない,歯に加工をするなど)に象徴される洗練された文化をもった流浪する狩人が到来し,王の姉妹と結婚したが,やがて王と対立し,東方に去ってしまった。後に狩人の遺児カララ・イルンガがコンゴロ王を倒し新たな王朝の始祖となった。コンゴロあるいはカララ・イルンガの子孫であることが王位継承者の資格であった。代々の王(カララ・イルンガ以降十数代)が周辺諸族を服従させたが,多くの諸族は旧来の社会組織を保持しながらルバ王への貢租を強制された。
隣のルンダ王国を建国したチビンダ・イルンガは,カララ・イルンガの弟とも息子ともおいともいわれるが,カララ・イルンガと同様,すでに存在した王国の王の娘と結婚して新たな王朝を立てたとされる。外から新たな文化をもたらし征服する王という神話は,世界各地にみられまたアフリカにも多いが,ルバ・ルンダ文化圏にも共有されているのである。仮面,木彫は,中部アフリカを代表するものとして,ルバ様式,ルンダ様式として知られている。
執筆者:渡辺 公三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報