改訂新版 世界大百科事典 「ロシア年代記」の意味・わかりやすい解説
ロシア年代記 (ロシアねんだいき)
Russkie letopisi
ロシアにおける編年体の歴史記述。11世紀から17世紀まで,主として修道僧によって諸公やツァーリの宮廷あるいは修道院で編まれた。現在まで伝わっている最古のロシア年代記は,12世紀初頭に成立した《過ぎし年月の物語》(《原初年代記》あるいは作者の一人の名をとって《ネストルの年代記》と呼ばれることもある)で,写字生の名からラブレンチー本,所蔵していた修道院の名からイパーチー本とそれぞれ名づけられた2種類の写本がある。これはロシアの《古事記》にあたり,スラブ民族の成立,ロシアの建国からキリスト教への改宗,異民族との戦い,諸公間の内紛など12世紀初めまでのロシア最古の時期の歴史を興味深く物語っている。11世紀前半以来キエフの修道院で何人かの僧によって書きつがれ,史料として旧約,新約の聖書,ビザンティンの年代記,外交文書,戦争の記録,修道院の開基由来などが用いられているほか,口承の伝説や叙事詩,諸事件の直接の参加者や目撃者からの聞書き,作者自身の体験も含まれている。この年代記に高い芸術性を与えているのは,スラブ古来の口承説話,北ヨーロッパのサガの影響を示す叙事的な語り口,作者と同時代の事件に関する形象性豊かな描写である。後半では作者のキリスト教的世界観が前面に出て,教訓的な調子があらわになっているものの,諸公の内訌(ないこう)や外敵の侵入から生ずる民衆の苦しみなどは同情をもって生き生きと描かれている。
11世紀から北部の町ノブゴロドで年代記が書き始められていたし,12~14世紀の諸公国分立時代には10余りを数えるそれぞれの公国で,地方的な事件を記述し,その利害を反映した年代記が書かれる。その中には《ガリツィア・ボルイニ年代記》のように高い文学性を備えたものもあった。15世紀に成立した《ラジビル年代記》は色つきの挿絵をおびただしく含んでいることで知られる。13~15世紀のタタール支配が終りをつげ,モスクワ大公国が勃興しはじめると,モスクワを中心とし,全ロシア的な視野をもった年代記が編まれ,いくつかの年代記を総合したいわゆる集成本が作られた。たとえば16世紀後半の〈絵入年代記集成〉は9000丁からなり,1万6000の挿絵を含む膨大なものである。17世紀の年代記では〈シベリア年代記〉が最も注目に値するが,モスクワなどでは従来の編年体にこだわらない歴史記述があらわれるようになった。1841年に《ロシア年代記全集》の刊行が始まり,既に40巻近くが公刊されている。
執筆者:中村 喜和
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報