ローリエ(読み)ろーりえ(英語表記)Wilfrid Laurier

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローリエ」の意味・わかりやすい解説

ローリエ
Laurier, Sir Wilfrid

[生]1841.11.20. サンラン
[没]1919.2.17. オタワ
カナダの政治家。首相在任 1896~1911)。マギル大学で学び,1864年卒業後ただちに法曹界に,1871年にはケベック州議会議員に選出され政界に入る。1874年連邦下院議員に当選。カナダ自由党(自由党)に属し,1877年マッケンジー内閣の内国税収入担当大臣として入閣したが,1878年の選挙で自由党が敗北野党にまわった。1887年エドワード・ブレークを継いで自由党党首に選ばれ,1896年マニトバにおけるフランス語による教育をめぐって争われた選挙で勝利を収め,首相に就任(→マニトバ学制問題)。在任中カナダは未曾有繁栄下にあり,経済問題にわずらわされることなく,カナダの自治の推進をはかった。1899年南アフリカ戦争が勃発し,カナダは軍隊の派遣を求められたが,フランス系カナダ人はそれに反対した。自身もフランス系カナダ人であったが,志願兵南アフリカへ派兵するというかたちでカナダ内部の対立を回避し,イギリス帝国におけるカナダの発言権を増加させた。また在任中イギリス軍は完全にカナダから撤退し,カナダ海軍が創設されてカナダは自国防衛の責任を負うことになった。1910年にはアメリカ合衆国から互恵通商条約締結の申し出があり,カナダの国家としての地位は完成に近づいたかのようであった。しかし海軍法がケベックで不人気であったことと,保守党と自由党の一部がナショナリズム旗印にアメリカとの互恵に反対したことにより,1911年の選挙で敗北。下野したあとも隠然たる勢力ふるい,第1次世界大戦では保守党の戦争遂行政策を支持して国論の統一に寄与したが,1917年の保守党による徴兵制の導入には反対し,この結果自由党は二分裂して弱体化した。1897年ナイトの称号を贈られた。(→カナダ史

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローリエ」の意味・わかりやすい解説

ローリエ
ろーりえ
Wilfrid Laurier
(1841―1919)

カナダの政治家。自由党に所属し、フランス系カナダ人としては初の首相(1896~1911)。マギル大学卒業後弁護士となり、1871年ケベック州下院議員に、引き続いて74年カナダ連邦下院議員に選出されて政界に入る。87年自由党党首となり、90年代カナダ政界を震駭(しんがい)させたマニトバ学制問題への巧みな対応により、96年より政権を担当した。ローリエの時代は、世界的な好況がカナダにも波及して未曽有(みぞう)の経済的繁栄を実現した。カナダ西部には世界各地から移民が到来し、1905年にはサスカチェワン、アルバータの二州の誕生をみている。英仏両語を完全に駆使した彼は、カナダの懸案である民族問題の操作に腐心したが、09年、イギリスからイギリス海軍への協力を求められた結果、カナダ独自の海軍を創設し、イギリス海軍への直接の協力を主張するイギリス系とカナダ海軍創設を帝国主義協力として反対するフランス系の票に敗れて下野した。その死まで自由党党首を務め、政界への影響力は大きかった。

[大原祐子]

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