ワルデン(読み)わるでん(英語表記)Paul Walden

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワルデン」の意味・わかりやすい解説

ワルデン
わるでん
Paul Walden
(1863―1957)

ドイツの化学者、化学史家。ラトビアに生まれる。リガの工業大学でオストワルトから大きな影響を受け、ライプツィヒミュンヘン遊学。リガに戻って教授となった。その後、日露戦争(1904~1905)、第一次世界大戦、ロシア革命で打撃を受け、1919年、ドイツに逃れ、ロストック大学の教授となった。有機および物理化学、とくに非水溶液の電導率、立体化学などで広範な研究がある。なかでもリンゴ酸の置換反応に関連していわゆるワルデン反転の現象を発見した(1893)業績は大きい。師オストワルトに似て多作家であり、とくに化学史に関するものは『化学史年表』(1952)、『1880年来の有機化学史』(1941)そのほか力作が多い。1945年の空襲で1万冊の化学蔵書を焼失、南方チュービンゲンに逃れ、90歳過ぎまで教壇に立った。

[都築洋次郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ワルデン」の意味・わかりやすい解説

ワルデン
Paul Walden
生没年:1863-1957

ラトビアの化学者。リガ工業大学に入り,F.W.オストワルトのもとで電気化学の研究を始めたが,オストワルトがライプチヒ大学へ移った後,C.A.ビショップの助手となり有機化学を研究した。リガ工業大学教授,リガのラトビア大学初代学長を務めたのち,革命後,ドイツに行きロストク大学教授となる(1919)。第2次大戦中フランクフルト・アムマインに移住し,チュービンゲン大学客員教授となり(1947),そこで90歳まで化学史の講義をした。研究は物理化学と有機化学の視点を結ぶものであり,ワルデン反転(1893),ワルデンの規則(1906),液体二酸化硫黄の酸塩基反応(1925)などがある。後年は科学史に関心をよせ,《化学史年表》(1952)の編集などのしごとを残した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

化学辞典 第2版 「ワルデン」の解説

ワルデン
ワルデン
Walden, Paul (Pavel Ivanovich Valden)

ロシア生まれのドイツの化学者,化学史家.ラトビアのリガ高等工業学校化学科卒.F.W. Ostwald(オストワルト)の弟子母校の助手となり電気化学や立体有機化学を研究し,物理有機化学の創始者の一人となる.1894年教授.1896年にワルデン反転を発見(E.H. Fischer(フィッシャー)の命名)し,1900~1934年非水溶液の電気化学を研究した.ロシアの10月革命後,1918年8月にリガに帰還.11月にラトビアが独立し,翌年工科大学が拡充されて成立したラトビア国立大学の教授に就任した.学長に選出されたが,国内の反ドイツ的な雰囲気の高まりから,同年8月に外国出張の名目でドイツに出国して帰らず,ロストク大学教授になる.1934年の引退後は化学史研究に専念した.1942年のロストク空襲で住居と膨大な化学史文献を失い,フランクフルト・アム・マインに移り,戦後,南西ドイツのビュルテンベルク州に定住し,90歳まで同州のチュービンゲン大学で化学史を教えた.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android