ワルド派(読み)ワルドは(英語表記)Vaudois[フランス]

改訂新版 世界大百科事典 「ワルド派」の意味・わかりやすい解説

ワルド派 (ワルドは)
Vaudois[フランス]

中古,主として南フランスと北イタリアに展開した異端キリスト教一派。土地によって〈リヨン貧者〉あるいは〈ロンバルディアの貧者〉とも呼ばれた。リヨンの豪商ワルドPeter Waldoが回心して家財を捨て街頭説教したことに端を発する。1170年ごろには彼の周囲に小教団が成立していた。79年教皇庁に認可を願い出たが,84年異端と断定された。1207年分裂,穏健派が帰正して〈カトリックの貧者〉を結成,当時の有力異端カタリ派と対抗した。宣誓の拒否,幼児洗礼反対などの主張を別にすれば,ワルド派の教義には正統教義との根本的な対立点はない。ただ福音書の精神にかえって清貧理想視し自由な説教を行う点に特徴がある。少数は近世までピエモンテ山間に存続した。福音書の俗語訳を試みたほか,《ワルド信仰告白》(12世紀末),《新しき教》《永遠の父》(ともに14,15世紀)などの文書が伝わっている。宗教改革の先駆とされる場合がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ワルド派」の解説

ワルド派(ワルドは)
Waldenses

12世紀後半,リヨンの商人ワルドが始めたキリスト教の一派。別名「リヨンの貧者」。初期の教会的清貧の理想から財産放棄し,教階制を攻撃,かつ民衆に熱烈に説教を行い,聖書の俗語訳を要求した。1184年異端宣告を受けた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ワルド派」の解説

ワルド派
ワルドは
Waldenses

12世紀後半に,リヨンの商人ワルドが始めたキリスト教の一派
原始キリスト教会の清貧の理想にもとづいて私有財産を放棄,階層制ヒエラルヒー)を攻撃,聖書の俗語訳を要求したことなどから,1184年異端を宣告された。別名“リヨンの貧者”とも呼ばれる。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のワルド派の言及

【改革派教会】より

…ついでカルバンとブリンガーによって改革派の統合が行われ,主としてジュネーブが拠点となって1550年代にフランス,スコットランド,ネーデルラント(オランダ,ベルギー),ドイツ(1543年以来東フリースラント,1563年以来プファルツ選挙侯領),南ポーランド,ハンガリーに浸透した。12世紀のワルドの流れを汲む北イタリアのワルド派は1532年から改革派の一翼に加わっている。正式には〈神の言葉にしたがって改革された教会〉であるが〈改革された教会〉と略称する。…

【キリスト教】より

…12世紀初めに現れたカタリ派は東方の異端ボゴミル派の支脈であり,マニ教的な二元論的道徳に従って禁欲清浄(ギリシア語でカタロスkatharos)の生を営み,独自の教階制を立てて世俗化した教会に対抗した。またワルド派は,リヨンの富裕な商人だったワルドーが1176年の飢饉にさいして財産を貧者に与えて無一物となり,使徒的生活を人々に説いて回ったことから生まれたもので,多くの類似の運動を合わせ,時にはカタリ派をも引き込んで,ドイツ,イタリア,ハンガリーに進出した。この派は多くの説教師をかかえて長い間教会と対立しつづけ,15世紀にはフス派に合流したが消滅せず,じつにこんにちまで残っている。…

【ロンバルディアの貧者】より

…〈リヨンの貧者〉から分離し,それと区別されるイタリアのワルド派。1205年ころロンコーのヨハネスに指導され,都市の職人や小商人層に広がり,〈初期教会の様式で生活する〉宗教運動の強い影響を受ける。…

※「ワルド派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android