日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイルランド自由国」の意味・わかりやすい解説
アイルランド自由国
あいるらんどじゆうこく
Irish Free State
1922年アイルランドに成立したイギリスの自治領。20世紀最初のゲリラ戦争ともいわれるアイルランド独立戦争(1919―1921)は、鎮圧政策が行き詰まったイギリスが休戦を提案し、アイルランド・ナショナリストと交渉せざるを得なくなり終結することとなった。その結果、締結されたのがイギリス・アイルランド条約で、イギリスはアイルランド自由国の樹立を認めた。条約では自由国の地位はカナダ並みと規定され、自らの行政府、立法府をもち外交権もあったが、軍隊は制限され、漁業権、関税権にも制限があった。さらに四つの港をイギリス軍に提供し、沿岸の警備もイギリス海軍の権限であった。しかしより大きな問題は、南北分割とイギリス王への忠誠宣誓であった。ナショナリズムの根幹にかかわるもので、デ・バレラなど強硬派は譲らず、1922年に条約が批准されると1919年の国民議会以来大統領であったデ・バレラが辞任し、代わってシン・フェイン党の創立者であるグリフィスArther Griffith(1872―1922)がその地位に就き、シン・フェイン党もIRA(アイルランド共和軍)も分裂した。6月、IRAの条約賛成派が反対派を攻撃して内戦が始まった。約1年続く内戦のなかでグリフィスが病死し、独立戦争の指導者コリンズMichael Collins(1890―1922)は反対派IRAに狙撃(そげき)されて死亡した。この間に国民議会が自由国憲法を制定しイギリス王の裁可を得て、公式に自由国が発足した。初代首相にコスグレーブW.T.Cosgrave(1880―1965)が就任した。
自由国の最初の課題は南北境界問題であったが、1924年開設の境界委員会も翌年廃止され、1921年のアイルランド統治法での境界のままになった。経済問題では、農産物の輸出に頼り、そのため高関税を課して工業を保護することが困難であった。しかし国際面ではイギリスの反対にもかかわらず1923年に国際連盟加入が承認され、1931年のウェストミンスター憲章でイギリス連邦を構成する主権国家となった。
条約に反対していたデ・バレラはイギリス王への宣誓を単なる形式とみなし政界に復帰、1932年の総選挙で第一党となって内閣を組織した。デ・バレラ政府は従来から主張してきた民族主義政策をとり、土地年賦金の不払いをイギリスに通告、双方が高関税を打ち出す経済戦争となった。1937年、デ・バレラは新憲法によってアイルランドを独立した民主的主権国家と規定し、国名を「エール」(英語名アイルランド)とした。これが現在のアイルランド共和国の始まりである。
[堀越 智]
『T・W・ムーディ、F・X・マーティン編著、堀越智監訳『アイルランドの風土と歴史』(1982・論創社)』▽『P・B・エリス著、堀越智・岩見寿子共訳『アイルランド史―民族と階級』上下(1991・論創社)』▽『上野格著「アイルランド」(松浦高嶺著『イギリス現代史』所収1992・山川出版社)』▽『松尾太郎著『アイルランド民族のロマンと反逆』(1994・論創社)』▽『S・マコール著、小野修編、大渕敦子・山奥景子訳『アイルランド史入門』(1996・明石書店)』▽『堀越智著『北アイルランド紛争の歴史』(1996・論創社)』▽『波多野裕造著『物語アイルランドの歴史』(中公新書)』▽『R・フレシュ著、山口俊章・山口俊洋共訳『アイルランド』(白水社文庫クセジュ)』▽『オフェイロン著、橋本槙矩訳『アイルランド―歴史と風土』(岩波文庫)』