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アスナール Aznar, José María

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アスナール
Aznar, José María

[生]1953.2.25. マドリード
スペインの法律家,政治家。首相(在任 1996~2004)。フルネーム José María Aznar López。政治活動に熱心な保守派の家系に生まれ,父も祖父もフランコ政権時代に公職についていた。1975年,マドリード・コンプルテンセ大学で法学の学位を取得し,その後政府の税務調査官として働いた。保守政党の連合である国民同盟(のちの国民党)に参加して政治活動を始め,1982年,下院議員に選出された。1982~87年まで党事務局長を務め,1989年に副党首に,1991年には党首に選出された。1995年4月,バスク祖国と自由 ETAの犯行とみられる自動車爆破事件で負傷した。翌 1996年に行なわれた選挙では,1982年から政権の座にあった社会労働党が汚職疑惑やスキャンダルで苦戦に追い込まれ,国民党はこれに乗じて票をのばした。圧倒的過半数こそ獲得できなかったものの,国民党はいくつかの地方小政党と連立与党を組むことに成功し,アスナールは同 1996年3月,首相に就任した。ETAに対しては交渉を拒否する政策をとった。2001年9月11日のアメリカ同時テロのあと,アスナールはアメリカ合衆国と密接な関係を築いて世界規模の対テロ戦争に協力し,米英主導による対イラク攻撃を支持した(→イラク戦争)。かねて首相職を 2期以上は務めないと表明していたが,その公約どおり 2004年の選挙後に首相の座をおりた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アスナール
あすなーる
Jos Mara Aznar Lpez
(1953― )

スペインの政治家。マドリードのジャーナリスト一家に生まれる。マドリード大学法学部卒業。北部のログローニョで財務監査官を務めていたとき、保守系の国民同盟(現在の国民党)に入党した(1979)ことをきっかけに政界入り。当時の党首フラガの後押しもあって、党内で急速に頭角を現し、下院議員当選(1982)、カスティーリャ・イ・レオン州首相就任(1987)など、政界での影響力を強めた。第10回党大会(1990)で党首に選出されたのちは、党内若手の代表として采配(さいはい)を振るい、フランコ体制の残滓(ざんし)とみられがちだった党のイメージを刷新し、穏健保守政党への脱皮を図った。1996年総選挙では14年間政権を掌握していた社会労働党に僅差(きんさ)ながら勝利して政権を獲得、首相に就任した。経済改革やヨーロッパ連合(EU)への参加を積極的に進めて2000年の総選挙でも大勝、国民党単独内閣を成立させた。また、バスクの独立を求める過激派組織「バスク祖国と自由」には強硬路線を取り続けた。2002年前半にはEU議長を務めた。2003年のイラク戦争に際しては、フランスやドイツが反対するなか、ヨーロッパではもっとも早くアメリカ、イギリス軍の攻撃支持を表明、戦争終了後のイラクにも積極的に派兵した。しかし2004年3月にマドリードで死者200人近くを出す爆弾テロが発生、アルカイダの関与が疑われるなど世論が動くなか、同月に行われた総選挙ではイラク派兵反対を主張するスペイン社会労働党に敗れ、8年ぶりの政権交代となった。[竹中克行]

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