日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッバード」の意味・わかりやすい解説
アッバード
あっばーど
Claudio Abbado
(1933―2014)
イタリアの指揮者。1990~2001年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督として活躍、世界でもっとも人気のある指揮者の一人。ミラノに生まれる。同地のベルディ音楽院でピアノと作曲を学び、次いでウィーン国立アカデミー(現ホッホ・シューレ=ウィーン音楽院)で故ハンス・スワロフスキーに師事して指揮を学んだ。1958年アメリカのタングルウッド音楽祭に参加、クーセビツキー賞を得たのがプロの世界に進出するきっかけとなり、1960年には早くもスカラ座にデビューしている。1963年ミトロプーロス指揮者コンクールで優勝、このころ、同年輩のズービン・メータ、小沢征爾(おざわせいじ)らとともに、若手指揮者の第一線に躍り出た。
1965年ザルツブルク音楽祭で、マーラーの『復活』を振ってデビュー、続いてミラノ・スカラ座管弦楽団の音楽監督に就任、1971年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(Haupt Dirigent)に推挙され、指揮者として、ほとんど最高峰の地位を得ることとなる。その後、スカラ座の音楽監督、シカゴ交響楽団の首席客演指揮者などを経たのち、1986年スカラ座の監督を降り、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任、『仮面舞踏会』と『シモン・ボッカネグラ』の指揮でオペラ指揮者としても大成功を収めた。1987年(昭和62)には、ウィーン・フィルを率いて来日している。
1989年、ヘルベルト・フォン・カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に指名され、名実ともに世界のオーケストラ界で最高峰といえる地位を獲得した。それ以降ほぼ1年おきにベルリン・フィルとともに来日、1998年(平成10)にも来訪している。レコーディングもきわめて活発で、ブラームスの交響曲、ピアノ協奏曲(ピアノはポリーニ)などで豪快な演奏を示している。現代の指揮者らしく、レパートリーは非常に広く、古典からマーラーなど後期ロマン派の大曲、オペラ、また「ジルベスターコンサート」などで取り上げる小品でも味のある指揮ぶりをみせて、マニアだけでなく広がりのある聴衆層の支持を得ている。なお、父はバイオリニスト、兄はピアニスト・作曲家でミラノ音楽院の院長、甥(おい)は指揮者という恵まれた音楽一家に育っている。
[横溝亮一]
『クラウディオ・アバド文、パオロ・カルドニ絵、石井勇・末松多寿子訳『アバドのたのしい音楽会』(1989・評論社)』▽『『ONTOMO CD BOOKS アーティストシリーズ1 クラウディオ・アバド』(1990・音楽之友社)』▽『石戸谷結子著『マエストロに乾杯』(1994・共同通信社)』▽『ロバート・チェスターマン編著、中尾正史訳『マエストロたちとの対話』(1995・洋泉社)』▽『コルドゥラ・グロート写真、ヘルゲ・グリューネヴァルト他著、浅野洋訳『写真集 ベルリン・フィルハーモニーとクラウディオ・アバド』(1996・アルファベータ)』▽『ラインハルト・フリードリヒ写真『写真集 ベルリン・フィルハーモニー』(2000・アルファベータ)』