アバド

百科事典マイペディア 「アバド」の意味・わかりやすい解説

アバド

イタリアの指揮者。アッバードとも。ミラノの音楽一家に生まれ,同地の音楽院とウィーンで学ぶ。1965年,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ってザルツブルク音楽祭にデビュー。1968年ミラノのスカラ座管弦楽団の首席指揮者となり1977年−1980年芸術監督。ロンドン交響楽団ウィーン国立歌劇場の音楽監督などを経て,1990年にはカラヤンの後を受けベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任。幅広いレパートリーを誇り,イタリア,ドイツ,オーストリアの音楽のほかムソルグスキーなどのロシア音楽に深い関心を寄せ,ストラビンスキーベルクからリゲティノーノに至る20世紀の作品にも鋭い分析力が光る。1973年にウィーン・フィルと初来日。→ポリーニ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アバド」の意味・わかりやすい解説

アバド
Abbado, Claudio

[生]1933.6.26. ミラノ
[没]2014.1.20. ボローニャ
イタリアの指揮者。ミラノの音楽家の家系に生まれ,家庭教師について音楽を学ぶ。16歳でジュゼッペ・ベルディ音楽院に入学し,ピアノ,作曲および指揮法を習得。さらにシエナのキジアーナ学院で指揮法を学んだのちウィーン音楽院に留学し,ハンス・スワロフスキーに師事する。1958年にクーセビツキー賞(→クーセビツキー),1963年にディミトリ・ミトロプーロス指揮賞(→ミトロプーロス)を受賞。1965年ハレ管弦楽団を指揮してイギリスデビューを果たす。1968年にミラノのスカラ座の首席指揮者に就任,1972年音楽監督,1977年芸術監督となり,オペラ愛好者の裾野を広げることに貢献した。1971年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者,1979~88年ロンドン交響楽団の首席指揮者,1986~91年ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。1990年ヘルベルト・フォンカラヤン後継としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督に就任し,2002年まで務めた。当初ドイツ音楽を得意としていたが,のちにイタリアのジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニやジュゼッペ・フォルトゥニノ・フランチェスコ・ベルディの曲などレパートリーを広げた。2003年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アバド」の意味・わかりやすい解説

アバド
あばど

アッバード

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android