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アティーシャ Atīśa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アティーシャ
Atīśa

[生]982
[没]1054
11世紀のチベット仏教界に最大の影響をもたらした僧。ベンガル王家の出身とされ,ビクラマシーラ僧院長のとき,西チベット王チャンチュプウーの招きを受け,1042年ガリにいたり,『菩提道燈論』を著わし,いったん帰国の途についたが果さず,ドムトゥンと中央チベットの僧団に招かれて 45年ウーの地にいたった。初めヤルルンにとどまったが満足できず,サムエーに移ってナクツォ翻訳僧と訳経に従い,ゴク・レクペーシェラプに招かれてラサにいたり,さらに,ニェタンやイェルパでドムトゥンを教導した。その教えは,小,大,金剛の三乗を総摂する理念をもち,カーダム派に奉じられ,ツォンカパに引継がれて発展した。

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百科事典マイペディアの解説

アティーシャ

インドの仏教僧。1042年チベットに入り,ラマ教を改革。その著《菩提(ぼだい)道灯論》はカダム派(カーダム派)の根本聖典とされる。
→関連項目サキャ派ラマ教

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世界大百科事典 第2版の解説

アティーシャ【Atīśa】

982‐1054
ベンガル王家出身のビクラマシーラ大僧院長。法名はディーパンカラシュリージュニャーナDīpaṅkaraśrījñāna。1042年ころ西チベットに招かれ,45年中央チベットに向かい,この国の仏教再興phyi darの指導者とされた。その著《菩提道灯論》で示された小乗・大乗・金剛乗統合思想は最終期インド仏教の根本理念としてチベット仏教に方向を与えた。弟子ドムトゥンによってカーダム派がはじめられ,後代ツォンカパがゲルー派に発展させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アティーシャ
あてぃーしゃ
Ata
(982―1054)

インドの思想家、宗教家。別名をディーパンカラシュリージュニャーナDpakararjnaともいう。インドのザホル国王の第2子として生まれる。29歳で出家して、仏教、とくに後期密教の奥儀(おうぎ)を究めた。西チベットのガリ国の王の招きを受けて、1042年にチベットに入り、以後13年間の教化により、低迷していたチベット仏教を復興、改革した。彼の時代以後をチベットでは「後期仏教伝播(でんぱ)時代」という。主著『菩提道燈論(ぼだいどうとうろん)』に示される彼の基本思想は、弟子ドムトンDromtn Gyalwe Jungney(1005―1064)を開祖とするカーダム派に継承され、さらにチベット仏教最大の思想家ツォンカパの『菩提道次第論(ぼだいどうしだいろん)』に影響を与えた。また彼は、インドの中観(ちゅうがん)思想のなかでとくにチャンドラキールティ(月称(げっしょう))の学説を尊重した点でも、ツォンカパの先駆者であった。[松本史朗]

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世界大百科事典内のアティーシャの言及

【ラマ教】より

…中央チベットでは諸氏族の勢力が安定してくると,混乱した仏教に対する批判と反省が生まれ,北朝系の末裔が援助して,各地に僧団を再興させた。そのころ招かれて西チベットに至っていたインドの名僧アティーシャを,後のカダム派の開祖ドムトゥン等が中央チベットに案内した。アティーシャは大衆部の戒を受け,中観帰謬論証派の見解をもって当時流行の無上瑜伽タントラの実践に熱心であったが,彼を招いてその弟子となった人々は,多く無上瑜伽タントラ以上を修めようとしないで,顕教のみを学んだものもあった。…

※「アティーシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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