アルバート フィニー(英語表記)Albert Finney

現代外国人名録2016 「アルバート フィニー」の解説

アルバート フィニー
Albert Finney

職業・肩書
俳優

国籍
英国

生年月日
1936年5月9日

出生地
ランカシャー州サルフォード

学歴
ロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート(RADA)

受賞
ベネチア国際映画祭最優秀男優賞(第24回)〔1963年〕「トム・ジョーンズの華麗な冒険」,ゴールデン・グローブ賞新人賞(第21回,1963年度),ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(第28回,1970年度)「クリスマス・キャロル」,ベルリン国際映画祭男優賞(第34回)〔1984年〕「ドレッサー」,ローレンス・オリビエ賞男優賞(第11回)〔1986年〕「オーファンズ」,ゴールデン・グローブ賞テレビミニシリーズ男優賞(第60回,2002年度)「チャーチル/大英帝国の嵐」,エミー賞〔2002年〕「チャーチル/大英帝国の嵐」,BAFTA賞最優秀男優賞〔2003年〕「チャーチル/大英帝国の嵐」

経歴
サルフォード・グラマー・スクール在学中、校長に認められ、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート(RADA)に入り3年間演技を磨いた。同級生にピーター・オトゥール、アラン・ベーツ、トム・コートネイらがいた。1956年バーミンガム・レパートリー劇団に参加、「シーザークレオパトラ」公演でロンドン・デビュー、チャールズ・ロートンに認められ「マクベス」に主演、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の一員となる。’60年ローレンス・オリビエの推薦で「寄席芸人」の端役で映画デビュー。次いでカレル・ライス監督の「土曜の夜と日曜の朝」(’60年)の主役で映画界に衝撃を与えた。以後、舞台と映画で活躍。「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(’63年)、「オリエント急行殺人事件」(’74年)、「ドレッサー」(’83年)、「火山のもとで」(’83年)でアカデミー賞主演男優賞を、「エリン・ブロコビッチ」(2000年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネート。また1964年の「Night Must Fall」で製作業、’68年の「Charlie Bubbles」で監督業にも進出。一方、’75年オールド・ビク座で「ハムレット」を演じ、テレビでは、2002年「チャーチル/大英帝国の嵐」のチャーチル役で数々の賞を受賞。舞台演出家としては、1972〜75年ロイヤル・コート劇場の芸術副監督を務めた。’83〜86年ブリティッシュ・アーティスツ理事長。他の映画出演作に「いつも2人で」(’67年)、「クリスマス・キャロル」(’70年)、「アニー」(’82年)、「ミラーズ・クロッシング」(’89年)、「トラフィック」(2000年)、「ビッグ・フィッシュ」(2003年)、「オーシャンズ12」(2004年)、「プロヴァンスの贈りもの」「アメイジング・グレイス」(2006年)、「ボーン・アルティメイタム」「その土曜日、7時58分」(2007年)、「007 スカイフォール」(2012年)など。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「アルバート フィニー」の解説

アルバート フィニー
Albert Finney


1936.5.9 -
英国の俳優。
ブリティッシュ・アーティスツ理事。
ランカシャー州サルフォード生まれ。
ロンドンのRADAで3年間演技を学び、同級にピータ・オトゥール等がいる。その後バーミンガム・レパートリー劇団で舞台にたち才能を次第に認められ「マクベス」の舞台に主演、RSCの一員となる。映画デビューは1959年「The Entertainer」で’60年「土曜の夜と日曜の朝」で好評を得る。他に「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(’63年)、「オリエント急行殺人事件」(’74年)、「ドレッサー」(’83年)等に出演。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報