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チャーチル チャーチル Churchill, Arabella

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャーチル
チャーチル
Churchill, Arabella

[生]1648
[没]1730
イギリスの貴族ヨーク公 (のちのジェームズ2世 ) の愛人。マールバラ (公) の姉。ヨーク公妃の侍女であったが,ヨーク公との間にベリック公ら2男2女をもうけた。のちゴドフリー大佐と結婚。

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チャーチル
チャーチル
Churchill, Charles

[生]1731.2. ロンドン
[没]1764.11.4. ブーローニュ
イギリスの詩人。 1756年聖職につき,58年に父の跡を継いでウェストミンスター教区の牧師となったが,J.ウィルクスに協力,議会制民主主義と市民の権利のために活躍,政治的風刺詩を書いて政府を攻撃した。

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チャーチル
チャーチル
Churchill, Lord Randolph Henry Spencer

[生]1849.2.13. オックスフォードシャー,ブレンハイム宮
[没]1895.1.24. ロンドン
イギリスの政治家。 W.チャーチルの父。マールバラ公家に生れ,1874年下院に入る。 78年まで保守党内で内部批判を続けたが,80年以後,議会で保守党内反主流派を結集し,81年 B.ディズレーリの死を契機に党内グループとしていわゆる第4党をつくり「トーリー民主主義」を主張,保守党勢力の挽回をはかった。

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チャーチル
チャーチル
Churchill, Winston

[生]1871.11.10. セントルイス
[没]1947.3.12. フロリダ,ウィンターパーク
アメリカの小説家。 1894年海軍兵学校を卒業したが,文筆生活に入り,処女作『名士』 The Celebrity (1898) を発表,次いで独立戦争を背景にしたロマンスリチャード・カーベル』 Richard Carvel (99) がベストセラーとなり,南北戦争を扱った第3作『危機』 The Crisis (1901) で歴史小説作家としての名声を確立。

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チャーチル
チャーチル
Churchill, Sir Winston Leonard Spencer

[生]1874.11.30. オックスフォードシャーブレニム
[没]1965.1.24. ロンドン
イギリスの政治家。保守党政治家 R.チャーチル卿の長男。 1894年サンドハースト陸軍士官学校卒業。キューバインドスーダン遠征および南ア戦争に参加。 1900年に保守党下院議員となったが,04年関税政策に反対して自由党に移り,植民省次官,内相などを経て,第1次世界大戦時には海相,軍需相として活躍。

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チャーチル
チャーチル
Churchill

カナダ,マニトバ州ハドソン湾西岸の町。チャーチル川河口に位置し,周辺は灌木や地衣類しか生育しないツンドラ地帯。ヌナブト准州への玄関口にあたり,1688年以来ハドソン湾会社毛皮交易所があった。

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デジタル大辞泉の解説

チャーチル(Churchill)

カナダ、マニトバ州北端の町。ハドソン湾に注ぐチャーチル川の河口に位置する。野生のホッキョクグマやシロクジラ(シロイルカ)が見られる場所として知られる。

チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill)

[1874~1965]英国の政治家。保守党から自由党に転じ、第一次大戦をはさんで商相・内相・海相・陸相・植民地相を歴任後、保守党に復帰。第二次大戦には首相として強力な指導力を発揮して連合国を勝利に導いた。戦後はソ連・東欧諸国に対する西欧の結束を訴え、特に「鉄のカーテン」演説は有名。著「第二次大戦回顧録」で1953年ノーベル文学賞を受賞。

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百科事典マイペディアの解説

チャーチル

英国の政治家。青年時代にキューバ反乱鎮圧,スーダン遠征に参加,ボーア戦争には新聞記者として従軍。1900年保守党員として下院議員となったが保護関税に反対して自由党に転じ,商相・内相・植民相を歴任。
→関連項目アトリーイーデン回想録カイロ会談核抑止論カサブランカ会談サザランド鉄のカーテンバトラーブレニム宮殿ポツダム会談ホーホフートマティーニマールバラマンハッタン(カクテル)ヤルタ会談

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世界大百科事典 第2版の解説

チャーチル【Winston Churchill】

1871‐1947
アメリカの小説家。セント・ルイスに生まれ,海軍兵学校卒。ニューハンプシャーに住み,州会議員も務める。独立戦争時代を扱う《リチャード・カーベル》(1899)や南北戦争の頃のセント・ルイスを舞台にした《危機》(1901)等の通俗的歴史小説で有名。その後は社会小説に転じ,19世紀中ごろのニューイングランド政界を描いた《コニストン》(1906)や鉄道の腐敗を暴く《クルー氏の経歴》(1908)等を書いた。【池田 孝一】

チャーチル【Winston Leonard Spencer Churchill】

1874‐1965
イギリスの政治家。スペイン継承戦争に戦功をたてた初代マールバラ公の子孫。保守党蔵相を務めたランドルフ・チャーチルRandolf C.(1849‐95)の長男。チャーチルは動乱期の指導者として最もよくその才能を発揮する型の政治家であり,90年におよぶ生涯は,大英帝国の栄光とその清算を象徴している。名門に生まれ軍人を経て議会人になった前半生は,精力的で豪胆なためむしろ不遇であった。だがナチスドイツと死闘するイギリスの運命を担ったとき,彼の強靱な戦闘意志と率直な雄弁は瀬戸際で国民を鼓舞し,5年にわたる政治と軍事の非凡な指導によって,反ナチス陣営を勝利へと導いた。

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大辞林 第三版の解説

チャーチル【Winston Leonard Spencer Churchill】

1874~1965) イギリスの政治家。1900年保守党員として政界に入り、保護関税に反対して自由党に転じ、諸大臣を歴任。のち再び保守党に復帰、第二次大戦中は首相として強力な統率力を発揮、連合軍の勝利に貢献した。51年再度首相となり55年引退。「第二次大戦回顧録」などを著し文筆家としても知られる。

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世界大百科事典内のチャーチルの言及

【イギリス】より

…38年のミュンヘン会談に象徴されるチェンバレンの対独宥和政策は,イギリス国力の相対的低下を自覚した,ベルサイユ体制の平和的修正の試みであったが,もはやイギリスにはかつての〈世界の警察官〉としての威信も実力もなく,第2次世界大戦の勃発は防げなかった。
[福祉国家への再生]
 イギリスはW.チャーチルの下で,満6年にわたり国力を使い果たして戦い抜き,第2次世界大戦に勝利した。だが戦勝の国民は,労働党に経済再建を急務とする苦難の戦後経営を託した。…

【オーストラリア】より

…イギリス防衛の名の下に,総人口500万未満のうち40万の壮丁が中東および欧州戦線に赴き,8万が戦死した。イギリス軍参謀本部と時の海相W.チャーチルの無謀な作戦によって,ANZAC(アンザツク)(オーストラリア・ニュージーランド連合軍)が戦死1万,負傷2万4000の被害を出した,ダーダネルス海峡内のガリポリ湾での戦闘(1915年4~12月)は,オーストラリア,ニュージーランド両国内で聖戦視され,あらゆる悪しき保守性の結節点となっている。1926年イギリスは自治領の内政・外交の自治権を認め,31年ウェストミンスター憲章として法制化したが,カナダとアイルランド自由国は即座にそれを批准したのに,オーストラリアは42年,ニュージーランドは47年まで批准しなかった。…

【第2次世界大戦】より


[イギリス]
 イギリスは,開戦にいたるまで〈宥和(ゆうわ)政策〉をとり,ドイツの侵略的行動を許していった。その後1940年5月チャーチルのもとに〈挙国一致政府〉が成立し,ドイツの攻撃に抵抗し反撃したのである。この時期イギリスは,経済の弱体化とイギリス帝国の維持という二つの構造的条件のなかで活動せざるをえなかった。…

【ブレニム】より

…地名はドイツのバイエルン州南西部,ドナウ河畔にあるブレンハイムBlenheim(現在はブリントハイムBlindheim)村に由来する。スペイン継承戦争中の1704年,初代マールバラ公爵ジョン・チャーチル指揮下のイギリス軍は,ブレンハイム村付近でフランスとバイエルンの連合軍を破った。その功績により時のアン女王からマールバラ公に下賜された領地がこの村である。…

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