日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルミニウム工業」の意味・わかりやすい解説
アルミニウム工業
あるみにうむこうぎょう
アルミニウムの原鉱石(ボーキサイトbauxite)からアルミニウムを製造する化学工業。製造工程は、鉱石からアルミナ(Al2O3)を分離抽出する工程と、アルミナの溶融塩を電気分解してアルミニウム(地金)を分離する工程の2段階からなっている。
アルミニウムは酸素と非常に強い力で結び付いているため、鉄などのように炭素を用いて鉱石から還元的に金属を取り出す精錬方法では得られなかった。アルミニウムは1825年に塩化アルミニウムをアルカリ金属で還元することで単体分離に成功したが量産することは困難であり、19世紀中ごろまでは金銀よりも高価な金属として扱われていた。アルミナからアルミニウムを実用的に得る方法(ホール‐エルー法)は、1886年にアメリカのC・M・ホールとフランスのP・L・T・エルーによってほぼ同時に別々に発明された。ホール‐エルー法はアルミナを氷晶石(Na3AlF6)の電解浴に溶かし込み電気分解してアルミニウムを得る方法である。アルミナの融点は2000℃を超える高温であるが、この方法では約1000℃で溶融解できるため大幅に操業温度を下げることができた。また、鉱石からカ性ソーダ(水酸化ナトリウム)によって高純度のアルミナを溶解・抽出する製造方法(バイヤー法)は、1888年にオーストリアのバイヤーKarl Josef Bayer(1847―1904)によって発明された。これらによってアルミニウムの本格的な工業生産が可能となった。
世界でのアルミニウム生産量は、1950年に150万トンであったが、1970年に1000万トンを超えて、2011年には4462万トンとなっており、鉄(1兆5168億トン)に次ぐ第二の金属生産量となっている。世界の生産量の約4割を中国が占め、以下ロシア、カナダ、アメリカ、オーストラリアの順であるが、とくにBRICs(ブリックス)とよばれる国々(ブラジル、ロシア、インド、中国)の生産量が増加してきている。
日本のアルミニウム工業は、1934年(昭和9)の日本沃度(ようど)(現、昭和電工)による明礬石(みょうばんせき)を原料としたアルミニウム地金の生産が始まりである。第二次世界大戦中は飛行機等の軍需資材として生産が伸びた。戦後1948年(昭和23)に生産が再開され民間需要に支えられて生産量が増加し、1972年には新地金生産量が世界第3位となったが、生産量は1977年に約120万トンのピークを迎えた。アルミニウムは電気の缶詰といわれるように、ボーキサイトからアルミナを経て電気分解でアルミニウム地金を1トン生産するには約2万2800キロワット時の電力を必要とする。1973年、1978年の二度のオイル・ショックによる電力コストの高騰の結果、日本のアルミニウム工業は国際競争力を失っていった。2011年(平成23)時点では、日本軽金属蒲原(かんばら)製造所が自家水力発電設備の電力によって国内唯一のアルミニウム製錬工場として年間5000トンの生産を存続させている。日本の新地金消費量は約200万トンと世界第4位であるが、その99%以上をオーストラリア、ロシア、ブラジル、ニュージーランドなどからの輸入に依存している。
日本のアルミニウム製品の総需要(国内需要+輸出)は1990年代までは急激に伸び続けていたが2006年をピークにやや落ち込みをみせ、2011年には390万トンほどである。アルミニウムは軽量(比重2.6~2.8)で耐食性があり、展延性に優れ、加工が容易であるため、自動車、航空機、船舶等の輸送用(40%)、アルミサッシや建築材料等の土木建築用(14%)、アルミホイール等の金属製品用(12%)、製缶材料やレトルト等の食料品用(11%)など幅広い用途がある。新地金生産に比べて、再生地金の生産は約3%のエネルギー消費(690キロワット時)ですむため、アルミニウムのリサイクルは国際的にも進んでいる。アルミニウム製品の国内需要は再生地金の国内生産106万トンと輸入76万トンなどによって支えられている。
[山本恭裕]