コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アンゴラ内戦 アンゴラないせん

3件 の用語解説(アンゴラ内戦の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンゴラ内戦
アンゴラないせん

1975~76年,アンゴラの解放組織間で戦われた内戦と,冷戦下の東西両陣営の支援を受けて 2002年まで続けられた内戦。アンゴラ解放人民運動 MPLAアンゴラ民族解放戦線 FNLAアンゴラ全面独立民族同盟 UNITAの3解放組織は,1960年代から 1970年代前半の対ポルトガル武装解放闘争中も互いに抗争を続けていたが,1974年4月のクーデター後ポルトガル新政府がアフリカ植民地を手放す決意を示すと,1975年1月連合してポルトガルと独立協定を結び,暫定政府の樹立に合意した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

知恵蔵の解説

アンゴラ内戦

2002年4月4日、アンゴラ政府軍と反政府組織アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が首都ルアンダで停戦協定に調印、1975年の独立後27年間続いたアンゴラ内戦は終結した。直接の契機は、02年2月22日、ジョナス・サビンビUNITA議長の戦闘中の死亡。サビンビは独立後も社会主義を目指すアンゴラ解放人民戦線(MPLA)政権と対立、米国、南アフリカ共和国の支援の下に内戦を続けてきた。冷戦終結後の94年、いったん和平協定(ルサカ合意)が成立したが守られず、UNITAはダイヤモンド産出地域を押さえ、その密輸により戦闘を継続した。調印によりUNITA兵士(約5万人)は武装解除され、国軍、警察に統合される。この内戦で50万人が死亡、多くの難民が出た。UNITAの政党復帰がなされ、03年6月の党大会でイサイアス・サマクバが党首に選ばれた。UNITAはできるだけ早期の大統領国政選挙を要求したが、当初予定された06年10月の実施も延期される模様。一方、04年、石油資源のある飛び地カビンダで分離独立を主張するムパラバンダが組織された。これに対し政府軍は05年6月大攻勢をかけた。

(林晃史 敬愛大学教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アンゴラ内戦
あんごらないせん

アンゴラ解放勢力の間で展開された、独立後の指導権をめぐる内戦。1975年3月から1976年2月にかけての第一次内戦とそれ以降の第二次内戦とに分けられる。ポルトガル領アンゴラでは、マルクス主義的なアンゴラ解放人民運動(MPLA)、反共的なアンゴラ国民解放戦線(FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)の3解放組織が互いに対立しながら対ポルトガル武装闘争を展開してきたが、1974年4月のポルトガル本国の政変の結果、新政府が植民地独立賦与声明を出したのちも、3組織間の対立は容易に収まらなかった。1975年1月ケニアの調停で三者が一本化し、ポルトガルと独立協定を結んで、1975年11月11日を独立日と定め、暫定政府を発足させた。しかし、同年3月にはMPLAとFNLAの間に、5月にはMPLAとUNITAの間に戦端が開かれ、8月以降MPLA対FNLA・UNITA連合勢力という形で内戦は激化していった。当初、内戦は、ソ連・東欧諸国の援助を得たMPLAが、アメリカ・中国の援助を得た連合勢力を圧倒したが、10月末に南アフリカ共和国軍が介入すると形勢は逆転した。しかし11月初旬からキューバ軍がMPLA支援のために送られ(内戦終結までに1万2000人に達した)、ソ連の武器援助も大規模化した(総計2億ドル相当)ため、形勢は再度逆転し、1976年2月中旬にはMPLAの勝利が確定した。なお内戦中、MPLAはアンゴラ人民共和国を、連合勢力はアンゴラ人民民主共和国を宣言したが、内戦終結の直後、人民共和国の正統性がアフリカ統一機構OAU)によって認められた。これによって下火になったUNITAによる反政府武力闘争はその後ふたたび活性化し、第二次内戦へと発展したが、MPLA政権が1990年7月に社会主義路線を放棄し、1991年5月に複数政党制憲法を採択したことから和平の条件が整い、同月和平協定が調印され、1992年9月には大統領選挙、議会選挙も行われた。しかし不正を理由にUNITAは選挙結果を認めず、第二次内戦が激化した。1994年11月にUNITAの議長サビンビの副大統領就任(実際には「野党代表」という特別の地位に就いた)などの条件を含む和平協定調印があり、1997年4月ようやく国民統合政府が樹立された。しかし、1998年UNITAと政府の内戦が再燃。2002年2月サビンビが戦死し、UNITAの勢力が弱まり、和平交渉が進展した。4月政府とUNITAなど反政府勢力が停戦合意に関する覚書に署名し、内戦は事実上終結した。[小田英郎]
『小田英郎・富田広士編『中東・アフリカ現代政治――民主化・宗教・軍部・政党』(1993・勁草書房) ▽中津孝司著『紛争地域現代史2 南部アフリカ』(1993・同文舘出版) ▽林晃史編『南部アフリカ民主化後の課題』(1997・アジア経済研究所) ▽青木一能著『アンゴラ内戦と国際政治の力学』(2001・芦書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

アンゴラ内戦の関連キーワードアンゴラアンゴラ解放人民運動カスミンアンゴラ兎・アンゴラ兔アンゴラ山羊アンゴラ兎あんぱんの日みてごらんアンゴラウサギアンゴラヤギ

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

アンゴラ内戦の関連情報