デンマークの作家。本国ではアンナセンという。フュン島のオーゼンセで貧しい靴屋の子として4月2日に生まれた。父親は好学の人で、幼い息子に『アラビアン・ナイト』や劇作家ホルベアの作品を好んで読み聞かせたり人形芝居を教えたが、ナポレオン崇拝家で軍隊に志願して出征、ナポレオン軍が敗れ、彼自身は心身を害して帰国し、息子が11歳のときに狂死する。母は父以上に貧しい家に生まれ、文字も読めなかった。そのような家庭に育ったので、彼は小学校もろくに通わなかったが、読書力は旺盛(おうせい)で早くから文学に親しみ、また父のつくってくれた人形を動かして劇のまねごとをするのを好んだ。
オーゼンセへ巡業にきた王立劇場の劇を見てから舞台にあこがれ、堅信礼を済ますとほとんど無一文で首都コペンハーゲンに飛び出し、俳優として舞台に立つことを願った。たちまち生活に追い詰められたが、天性の純朴と向上の熱意とは次々に同情者や後援者をみいだし、詩人バッゲセン、作曲家ワイセらをはじめ、宮中顧問官で王立劇場顧問だったコリンの後援を受けることになり、やがてその口利きで遅まきながらスラーイェルセのラテン語学校に給費生として入学した。校長マイスリング夫妻に苦しめられて、神経衰弱で卒業を前に退学したが、23歳でコペンハーゲン大学に入学、その直後ユーモラスな旅行記『ホルメン運河からアマーゲル島東端までの徒歩旅行』(1828)を自費出版した。これが好評で迎えられ、ついで劇『ニコライ塔上の恋』を書いて王立劇場で上演され、学業を放棄して作家の道に踏み出す。そのころまた、幼時祖母から聞いた昔話『幽霊』(のちに改作して『旅仲間』)を書いて、『詩集』(1830)に付載、これが童話の第一作となった。
しかし、これらでいちおう文壇に出たものの、正規の勉学をしなかった彼の文章には、とかく文法上の誤りや破格があってしばしば酷評され、また失恋に悩んだ。それを見かねたコリンらに外遊を勧められ、1831年にドイツに遊んでティーク、シャミッソーらと交わる。以後「旅は私の学校」「旅することは生きること」として、生涯に29回も国外旅行をする。その第2回は1833~1834年のドイツ、フランス、スイスを経てイタリアに遊んだ旅で、これも二度目の失恋の痛手をいやすためのものであったが、イタリアの風物に感激して『即興詩人』(1835)の想を得、ローマで書き始めて帰国してこれを完成。これにより彼の名声は国外にまで広がった。同年、作品4編を収めた最初の童話集を刊行。『即興詩人』のような作の書ける人が、なぜ童話のような子供だましのものを書くかと最初は不評であったが、『人魚姫』などを含む第三童話集を出してからは、童話こそ彼の本領であることが広く認められ、いよいよこれに力を注いで、近代童話の確立者となった。生涯に書いた童話は約150編、今日に至るまでなお「童話の王様」の地位にある。その間に、童話以外にも『さびしきバイオリンひき』『幸運のベール』などの小説、珠玉の連作短編集『絵のない絵本』、劇、詩、紀行、自伝などを書いて世界的名声を得たが、私生活では幾度恋をしても報いられず、1875年8月4日その生涯を独身のままで閉じた。
[山室 静]
アンデルセンの童話全集は『童話と物語』と題されているとおり、童話以外に青少年向きの物語をも含んでいる。『砂丘の話』『氷姫』『プシケ』などは後者に属し、力作ではあるが少年少女にはやや理解困難である。童話には、民話を再話したものと純創作とがあるが、前者は数が少なく、それも主として初期に書かれて、最初の童話集などは4編中3編までがその系統の作だったが、しだいに創作童話に力を注ぐことになった。『火うち箱』『小クラウスと大クラウス』『旅仲間』『野の白鳥』『ばかのハンス』『お父さんのすることにまちがいはない』『パンを踏んだ娘』などは民話系の作のおもなもの。そのもっとも成功したものは『野の白鳥』と『裸の王様』であろう。彼はグリムなどと異なってかなり自由に再話している。
本領である創作童話はほぼ3期に分けられ、30歳のときの『イーダの花』『親指姫』を最初に、『人魚姫』『ヒナギク』『しっかり者のスズの兵隊』『みにくいアヒルの子』などが初期の代表作。大科学者エールステッドの教え、「自然の法則は神の思想であり、自然はそのまま精神、現実そのものが奇跡なのだ」に従って、それまでのロマン主義から現実に目を転じたところに成立する。作者はまだ若かっただけに筆致はみずみずしく作風も明るい。中期は39歳ごろからで、不幸な恋をしたりして作品がしだいに重たく暗くなり、『マッチ売りの少女』『モミの木』『赤い靴』『ある母親の話』などの名作を出すが、恋人イェンニイと最後的に別れてからはしばらく童話がまったく書けなくなる。後期は50歳に達して自伝を書いて自信を回復してからで、『一つの莢(さや)から出た五粒の豆』『駅馬車できた十二人』『庭師と主人』などが代表作。別に『あの女はろくでなし』は彼の薄幸な母親を記念する特異な作で、気分も他の童話とはやや異なっている。
[山室 静]
『高橋健二訳『アンデルセン童話全集』全5巻(1979~1980・小学館)』▽『大畑末吉訳『完訳アンデルセン童話集』全7巻(1981・岩波書店)』▽『山室静訳『アンデルセン童話集』全3冊(角川文庫)』▽『大畑末吉訳『アンデルセン自伝』(岩波文庫)』▽『日本児童文学学会編『アンデルセン研究』(1969・小峰書店)』▽『山室静著『アンデルセンの生涯』(1975・新潮社)』
デンマークの作家。デンマーク語ではアナセン。貧しいが空想にふける少年時代を生地オーゼンセで過ごし,演劇への情熱に駆られ14歳でコペンハーゲンへ出る。端役として王立劇場へ出たりもしたが,そこへ送った戯曲で基礎教育が必要と判断され,人々の好意を受けて学校へ入る。死の前年まで校長の夢に悩まされるほどエルシノアでの学生生活は苦しかったが,《臨終の子》(1827)などの詩作が始まる。《デンマークにわれ生を受く》は全国民に愛唱されている彼の詩の一つである。25歳のとき,学友の姉と初恋を経験し,愛の詩が生まれ,思い出は童話に生かされる。男性としての魅力に欠けていたためか,その後の恋も実らず失恋の悲しみのみを味わい,生涯一人暮しを余儀なくされる。外国旅行で心の傷はいくぶんいやされ,そのつど集められた精神的エネルギーは激しい創作意欲をたぎらせた。イタリア旅行(1833-34)の後,抒情性豊かな小説《即興詩人》(1835)が生まれ,一躍出世への道が開けた。《O.T.》(1836),《ただのバイオリン弾き》(1838)といった自伝的色彩の濃い小説が続くが,男女の細かい心理描写などは得意でなかったようである。一方,外国旅行はすぐれた紀行文を書かせ,中でもドイツ,イタリア経由イスタンブールへの旅から《詩人のバザー》(1842)が生まれ,最も高い評価を受けている。《スウェーデンにて》(1851)やその他の作品も彼が天才的なレポーターであることを示している。戯曲の執筆も続けられたが,時の名優が主役を演じた《混血児》(1840)が成功したくらいのものである。だが自叙伝は自伝文学の古典とみなされている。《わが生涯の物語》(1855)などがあり,生い立ち,恋愛経験,成功への各段階をはじめ数多い友人関係や同時代のヨーロッパの著名な作家,芸術家との出会いなどが,多少の創作的要素もまじえながら綴られている。
彼の名を永遠にしたのはその童話作品の数々である。ロマン主義という時代的背景があったとはいえ,この新しい文学ジャンルにおいて彼の人生観と非凡な才能が結晶して最も美しい華を咲かせている。同時代の文芸評論家G.ブランデスは〈ホ・セ・(H.C.のデンマークよみ)アナセンがデンマークの子どもを発見した〉と言っている。詩情豊かで幻想的な内容に加えて,口語を織り込んだ新しい文体は後続の作家たちに大きな影響を与え,デンマーク語に新鮮な息吹を吹き込んだ。童話の多くは慣用句となってデンマークの日常生活に溶けこんでいる。
このほか《絵のない絵本》(1840)のような軽いタッチの小品集も見のがせない。日記や書簡集も世に出た現在,死後100年以上を経過してなお,人間アンデルセンの研究はますます盛んである。彼はまた紙の切絵や花束つくりの名手でもあった。
執筆者:岡田 令子
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1805~75
アナセンともいう。デンマークの作家。文学好きの貧しい靴職人の子に生まれ,イタリア旅行の印象をもとに小説『即興詩人』を書いて世に出,あいついで童話集を出版,『醜いあひるの子』など多くの芸術的童話を書いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…1966年デンマーク第3番目の大学オーゼンセ大学が開校され,フューン島の文化的中心地でもある。童話作家アンデルセンの生誕地。【村井 誠人】。…
…ほぼ1世紀にわたる訓育主義の跋扈(ばつこ)の後に様相は一変する。フランスの文化的優位に対する反発から始まるドイツ・ロマン主義の動きは,自国の土と血に根ざしたものの探求に向かい,そこからC.ブレンターノらの童歌(わらべうた)の収集と,グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集(グリム童話)》(第1巻1812)が生まれ,つづいて,デンマークでは昔話に美しい空想の翼をあたえたH.C.アンデルセンの《童話集(アンデルセン童話)》,さらにはノルウェーのアスビョルンセンP.C.AsbjørnsenとムーJ.Moeによる民話の収集(1837~44)が現れるのである。以下,各国の歴史をたどる。…
…デンマークの作家アンデルセンが1833‐34年のイタリア旅行中,その芸術と風景にふれ,情熱と詩情をかき立てられて筆を起こし,帰国してからまとめ上げた小説。1835年刊。…
※「アンデルセン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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