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イオニア諸島 イオニアしょとうIónii Nísi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イオニア諸島
イオニアしょとう
Iónii Nísi

ギリシア西部,イオニア海にある島群。北から南に連なるケルキラ,パクシ,レフカス,イサキ,ケファリニア,ザキンソスの6島とそれらの周辺の小島から成る。ギリシアとイタリアの間の戦略的要地に位置していたため,古くから外部の勢力の影響下におかれ,ギリシア,ローマ,ビザンチン,ベネチア,フランス,ロシア,オスマン帝国,イギリスなど領有が次々に変った。イギリスの保護下にあった 1848年,ケファリニア島を中心に農民の反乱があり,イオニア議会は新たに成立したギリシア王国への統合を決議,64年ギリシア領となった。降水量に恵まれ可耕地が多いことから,木材,果実,アマなどの産出が多く,干しぶどう,ワイン,綿花,オリーブなどを輸出。面積 2302km2。人口 19万 1003 (1991推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

イオニア‐しょとう〔‐シヨタウ〕【イオニア諸島】

IoniaΙόνια》ギリシャ西端部、イオニア海北東部にある諸島。古くは「七つの島」を意味するヘプタネソスまたはヘプタネサと呼ばれた。ケルキラ島(コルフ島)、パクシ島、レフカダ島、ケファロニア島、イタキ島、ザキントス島、キティラ島などの主要7島をはじめ、多数の島嶼(とうしょ)からなる。古くから海上交易の拠点として栄え、14世紀から15世紀にかけてベネチア共和国領になり、ギリシャ語地域では唯一オスマン帝国に支配されなかった。18世紀にギリシャ独立の機運が高まり、フランス領、ロシア領、イギリス領を経て、1864年にギリシャに返還された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イオニア諸島
いおにあしょとう
Inioi Nsoi

ギリシア西端部、イオニア海東端にある島群。英語名Ionian Islands。古称ヘプタネソスHeptanesos(「七つの島」の意)。面積2307平方キロメートル、人口19万3734(1991)。北よりケルキラ(コルフ)、パクシ、レフカス、ケファリニア、イサキ、ザキントス、キスイラの7島、および多数の小島からなり、全体で一行政区をなす。比較的雨量の多い地中海式農業地帯で、ブドウ、オリーブ、柑橘(かんきつ)類、果実類を豊富に産する。
 東西を結ぶ海上交通路上の要衝にあり、古代ギリシアの植民運動の時代にはケルキラとレフカスにコリントの植民市が設けられ、アテネも紀元前5~前4世紀の西方への航路確保のためザキントスを勢力下に置こうとした。13世紀のラテン帝国時代以来ベネチアの支配下に入り、ついでフランス領(1798)、ロシア領(1799)となった。一時島の自治を宣言したが、1807年ふたたびフランス領となり、ウィーン条約(1815)でイギリス領となった。1864年ゲオルギス1世のギリシア王位継承の条件としてギリシアに返還された。[真下とも子]

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