ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イサウリア朝」の意味・わかりやすい解説
イサウリア朝
イサウリアちょう
Isauri; the Dynasty of Isaurus
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ビザンティン帝国中期の王朝(717~802)。創始者レオン3世(在位717~741)の出生地、小アジアのイサウリアIsauriaにちなんでこうよばれる。またシリア朝ともいう。同帝の息子コンスタンティノス5世(在位741~775)、さらにその子レオン4世(在位775~780)とその妻にしてビザンティン史上初の女帝イレーネ(在位797~802)およびイレーネの息子コンスタンティノス6世(在位780~797)を輩出。対外的には、イスラム軍による首都コンスタンティノープル攻撃をよくしのぎ(717~718)、逆にイスラム軍を大破(740)、ブルガリアに対してもたびたび遠征を行った。だが、レオン3世が聖画像崇拝を禁止(730)したため、国内はイレーネによる禁止令解除(787)まで混乱した。イタリアではランゴバルド人の南下を防げず、ラベンナの総督領を手放し、結果的にはローマ教皇とフランク王国との提携を促進した。
[和田 廣]
⇒シリア朝
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…シリア出身の軍人で,ユスティニアヌス2世の護衛兵から出世し,アナスタシオス2世(在位713‐715)のときテマ・アナトリコンの長官に就任。テオドシウス3世の対立皇帝として立ち,これを排し即位(717)し,イサウリア朝(717‐802)を興す。その年ウマイヤ朝のカリフ,スライマーンの陸海にわたる首都攻撃を受け,1年に及ぶ包囲戦を耐え,ついにはアクロイノンの戦(740)でイスラムを大破した。…
※「イサウリア朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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