イサンドルワナ・ロークスドリフトの戦い(読み)イサンドルワナ・ロークスドリフトのたたかい(英語表記)Battles of Isandlwana and Rorke's Drift

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

イサンドルワナ・ロークスドリフトの戦い
イサンドルワナ・ロークスドリフトのたたかい
Battles of Isandlwana and Rorke's Drift

1879年1月22~23日,南アフリカにおけるズールー戦争の最初の大規模な戦闘。1878年12月,イギリス領南アフリカの高等弁務官バートル・フレア卿は,ズールー王国の王セテワヨに,最後通牒を発した。条件の一つは,30日以内にズールーの軍事組織を解体することだった。この要求は拒否され,1879年1月,イギリス軍がズールー王国に侵攻した。イギリス軍最高司令官のチェルムスフォード卿が率いる部隊はロークスドリフト(ズールー名クワジム)に砦を築き,バファロー川(ムジニャチ川)を渡って東側のズールー王国へ兵を進めた。1月22日,チェルムスフォード卿が兵力の 3分の1をイサンドルワナ山の野営地に残して出動すると,2万人以上のズールー軍が,野営地に残った 2000人足らずのイギリス軍を襲撃した。イギリス軍は正規兵約 800人とアフリカ人予備兵約 500人を失った。同日後刻,別のズールー軍が,ロークスドリフトの砦を襲撃した。今度はイギリス軍も準備を整えて応戦し,翌日まで 12時間近く続いた銃撃戦で,120人ほどのイギリス軍が 500人以上のズールー戦士を倒した。イサンドルワナでのズールー軍の勝利は,皮肉なことに,セテワヨが望んだ話し合いによる解決の道を断った。ズールー王国侵攻計画について,イギリス政府はそれまでフレア卿から十分な報告を受けておらず,当初戦争に乗り気ではなかった。しかし 2月11日にイサンドルワナでの敗北の知らせを受けると,体面を保つため,政府は一転して全面的な戦争支持に回った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android