日本大百科全書(ニッポニカ) 「イタリア労働総同盟」の意味・わかりやすい解説
イタリア労働総同盟
いたりあろうどうそうどうめい
Confederazione Generale Italiana del Lavoro イタリア語
略称CGIL(チジル)。イタリア最大の労働組合中央組織(ナショナル・センター)。1944年6月、共産党、社会党、キリスト教民主党の代表が「ローマ協定」を結び、統一的な労働総同盟の結成への合意が成立し創立された。冷戦の開始とともに、政党間の協調が崩れ、一方ではアメリカの、他方ではバチカンの圧力のもとでCGIL内部での意見対立が激しくなり、48年のトリアッティ共産党書記長暗殺未遂事件に対する抗議行動への対応を直接の契機として、組織分裂に至った。まずキリスト教民主党系が、続いて社会民主党系と共和党系が脱退し、前者はイタリア労働組合連盟(CISL(チズル))を、後者はイタリア労働連合(UIL(ウイル))を結成した。組織分裂と第二次世界大戦後のイタリア経済の高度成長のなかで、1950年代から60年代にかけて、総同盟は組織人員を減少させるなど困難な局面を経過したが、完全雇用実現を基本目標とし、国民経済全般にわたる改革を目ざす「労働プラン」を提唱し、賃金や労働条件の改善の実現に積極的な役割を果たすなど、一貫して最大の労働組合中央組織の地位を保ってきた。
1968年秋から翌年春にかけての年金制度改善のゼネストの成功に続いて、69年秋の労働協約更新の大闘争は、実際には2000万人の勤労者が参加する「熱い秋」といわれる一大社会運動として発展し、週40時間労働制を実現したのをはじめ、年金、住宅、南部開発などの社会的改革の面でも重要な成果を収めた。労働者の権利擁護や組合の企業内活動の権利保証を定めた「労働者憲章」もこの闘争が契機となり実現された。72年には、こうした統一闘争の経験から、CGIL、CISL、UILの三大中央組織間に連合体Federazioneがつくられ、経済政策の民主的転換、雇用の保障、南部開発の三大要求のもとで、恒常的な統一行動が定着し、3団体間の交流が前進している。
1980年代なかば以降、労働組合の組織率低下などの要因から、先鋭的な労使対立は影をひそめ、経済通貨同盟(EMU(エミュー))発足を前にした98年12月には、政府、産業連盟、各ナショナル・センターの政労使三者による労働コストの削減、投資、雇用増大を目ざした新たな社会協約が合意された。
CGILはイタリア共産党の後継政党である左翼民主党と協力関係にあるが、組合役員と政党役員の兼任は禁止されている。2000年現在の加盟組合および組合員数は、17単産、約456万人。
CGIL以外のイタリアのナショナル・センターの組織勢力は、CISLが17単産、約380万人、UILが35単産、約154万人となっている。
[手島繁一]