イッソスの戦い(読み)イッソスノタタカイ

デジタル大辞泉 「イッソスの戦い」の意味・読み・例文・類語

イッソスのたたかい【イッソスの戦い】[絵画]

原題、〈ドイツSchlacht bei Issusアルトドルファー絵画。板に油彩。縦158センチ、横120センチ。アレクサンドロス大王ペルシア軍を破ったイッソスの戦いを描く。数千もの馬や兵を緻密に描き込んだ作品であり、アルトドルファーの代表作とされる。ミュンヘン、アルテピナコテーク所蔵。アレクサンドロス大王戦いアレキサンダー大王の戦い。

イッソス‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【イッソスの戦い】

前333年、アレクサンドロス大王がシリア北西部のイッソス(Issos)で、ダレイオス3世のペルシア軍を破った戦い。この勝利によって、大王の小アジア征服が決定的なものとなった。
[補説]作品名別項。→イッソスの戦い

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イッソスの戦い」の意味・わかりやすい解説

イッソスの戦い
いっそすのたたかい

マケドニアのアレクサンドロス大王が紀元前333年11月、ペルシアのダリウス3世と初めて直接相まみえ、その大軍撃破した戦い。結果は将来の帰趨(きすう)を決定した。ダリウスは敗走し、王母、王妃王子王女たちが捕虜となった。ダリウスは和議を提案したが、アレクサンドロスにより一蹴(いっしゅう)された。イッソスIssosは小アジア半島の南東付け根の位置にあった古地名。ナポリ博物館蔵の有名なモザイク大壁画(1831年ポンペイ出土)は、この戦闘光景を描いたものといわれる。また、ドイツの画家アルトドルファーの作品も有名。

[金澤良樹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イッソスの戦い」の意味・わかりやすい解説

イッソスの戦い
イッソスのたたかい
Battle of Issos

前 333年 11月,マケドニアのアレクサンドロス3世 (大王)とアケメネス朝ペルシアのダレイオス3世の間に,現トルコのイスケンデルン湾沿岸のイッソス平原で行われた戦い。大王は巧みな用兵で大勝利を得,小アジアを確保し,アジア遠征を容易にした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「イッソスの戦い」の解説

イッソスの戦い(イッソスのたたかい)
Issos

前333年キリキア東端のイッソスにおける戦い。アレクサンドロス大王ダレイオス3世の大軍を撃破,その母,妃,子供たちを捕虜とし,またシリア,エジプト征服への道を開いた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「イッソスの戦い」の解説

イッソスの戦い
イッソスのたたかい
Issos

前333年11月,アレクサンドロス大王が,シリアの北西部イッソス河畔でアケメネス朝(ペルシア)の主力軍を撃破した戦争
ペルシア王ダレイオス3世は辛くも逃れたが,王母・王妃とふたりの王女は捕虜となった。アレクサンドロス大王によるシリア・エジプト征服への道を開いた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android