改訂新版 世界大百科事典 「ウドムルト共和国」の意味・わかりやすい解説
ウドムルト[共和国]
Udmurt
ロシア連邦中部の共和国。ウラル山脈の西方,ボルガ川の二つの支流のカマ川とビャトカ川の間に位置する。ソ連邦の解体にともない1992年ソ連邦ロシア共和国ウドムルト自治共和国から共和国へと昇格した。面積4万2100km2,人口154万(2006)。首都はイジェフスクIzhevsk(人口62万3436,2004)。民族構成はウドムルト人30.9%,ロシア人58.9%,タタール人6.9%,その他3.3%(1989)。国土の44%を森林が占める。1月の平均気温は,北部で-15.5℃,南部で-14.2℃,7月はそれぞれ17.5℃と19℃で,年降水量は400~600mm。夏の比較的穏やかな大陸性気候である。産業面では,イジェフスクを中心として機械(工作機械,兵器,自動車,オートバイなど),金属工業が発達し,天然ガス,石油,石炭の産出地としても重要な地位を占める。農業,牧畜も盛んで,耕地面積は144万1000haである。また,イジェフスクには17学部から成るウドムルト大学(学生数1万1000)がある。
1920年11月にボチャーク自治州として成立,32年にウドムルト自治州と名称を変え,34年12月に自治共和国となった。ウドムルト人はフィン系の民族で,ボチャーク人ともよばれる。フィン・ウゴル語系のウドムルト語(ボチャーク語)を使用し,宗教はロシア正教である。現在でこそ人口の約3分の1になっているが,本来はこの地域の主要民族であった。15世紀末よりしだいにロシアに組みこまれていき,1558年に完全に併合され,以後,ロシア人植民者が流入してきたために少数民族化した。ウドムルト人のロシア語への同化が進んでおり,1989年に民族語を母語とするのは75.7%である。ロシア帝国支配下においてウドムルト人は何度か反抗を試み,17世紀のバシキール人の反乱やステパン・ラージンの乱,18世紀のプガチョフの乱には彼らも参加した。ソ連の解体以降ウドムルト人の言語・文化復権運動が活発化している。
執筆者:青木 節也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報