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ウュルテンベルク公国 ウュルテンベルクこうこくHerzogtum Würtemberg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウュルテンベルク公国
ウュルテンベルクこうこく
Herzogtum Würtemberg

南西ドイツのシュワーベン地方に形成された中規模の領邦。ビュルテンベルクとも表記される。ネッカー川中流の重要な遠隔地商業路にのぞむ地理的な好条件から,この地域には早くから都市の発達がみられた。ウュルテンベルク家は,ホーエンシュタウフェン朝没落後のシュワーベンの政治情勢を利用して,ここにきわめてまとまりのある領域をつくり上げ,1495年には,これまでの伯 (グラーフ) に代って公 (ヘルツォーク) の称号を皇帝から授けられた。しかし 16世紀初め頃ウルリヒ公のとき,財政の乱脈と新規課税がきっかけで,1514年「貧しいコンラートの一揆」と呼ばれる農民反乱を招き,これに対処する必要から,公と諸都市の上層市民との間に「テュービンゲン協約」という憲法が契約形式でつくられた。これ以後,神聖ローマ帝国の消滅まで,この国は,ドイツでも珍しいほど,身分制国家の体制を長く維持し,しかもその身分制議会は都市代表のみから成る (騎士は 15世紀末以来,帝国直属となる) という特徴をもっていた。ナポレオン1世による帝国西部諸領域の再編成 (→メディアティジールンク ) でその領土を倍加し,1805年にはウュルテンベルク王国 Königtum Würtembergに昇格,国王フリードリヒ2世 (王としては同1世) のもとに官僚制的な集権化が急がれたが,古い自由の伝統をもつ都市市民はこれに反発し,その結果,19年に再び契約の形式で新しい憲法が成立した。ドイツ連邦体制のもとで,この王国はバーデンと並んで南西ドイツ自由主義運動の中心地であった。文化史上はシラー,ヘーゲル,経済学者リストらを生み,テュービンゲン大学は,特に神学,法学で有名。

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