ウルツ(読み)ウルツビュルツ

化学辞典 第2版 「ウルツ」の解説

ウルツ(ビュルツ)
ウルツビュルツ
Wurtz, Charles Adolphe

フランスの化学者.ルター派牧師の息子として,ストラスブールの近郊の村に生まれる.1843年ストラスブール大学医学部で医学博士号を取得後,ドイツのギーセン大学のJ. Liebig(リービッヒ)のもとで研究した.1844年パリに出て,医学校のJ.B.A. Dumas(デュマ)の研究室の実験助手になる.Dumasの後を継いで,1849年医学校の講師,1853年同教授,1866年同校長を歴任.1874年かれのために創設されたソルボンヌ有機化学講座に移り,教授として教育に専念.独仏英語を自由に話したかれの研究室には,ヨーロッパ中から優秀な研究者が集まった.A. Laurent(ローラン)とC.F. Gerhardt(ゲルアルト)の原子量と化学式の改革を当初から支持し,また第一級アミン(1849年)や二価アルコール(1856年)をはじめて合成し,有機化合物を少数無機化合物からの誘導だとする型の理論を補強し,原子価概念の成立に貢献した.著書“原子説”La théorie atomique(1879年)は各国語に翻訳されて普及した.1854年ヨウ化アルキルと金属ナトリウムから,エチル・ブチル(ヘキサン)やブチル・アミル(ノナン)を得ることに成功した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

関連語 徳元 サン

改訂新版 世界大百科事典 「ウルツ」の意味・わかりやすい解説

ウルツ
Charles Adolphe Wurtz
生没年:1817-84

フランスの有機化学者。ストラスブールに生まれる。ルター派の牧師である父の跡を継がずに生地の大学の医学課程に進み,1843年学位を受ける。44年パリにでてソルボンヌ大学医学部のJ.B.A.デュマに認められる。45年にデュマの助手となり,49年に有機化学講師,53年に教授,66年に化学部長をつとめた。74年にはソルボンヌ大学からとくに有機化学のポストを与えられ,医学部より移り,81年アカデミー・デ・シアンスの会員となる。研究対象はリン酸塩化物,メチルアミンなど多方面にわたり,グリセリンの構造決定,ヨウ化メチルに金属ナトリウムを作用させてブタンを合成するウルツ反応の発見(1855)など,すぐれた業績をあげた。また《原子論》(1879)をはじめ多くの著作も残している。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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