改訂新版 世界大百科事典 「オゴタイハーン国」の意味・わかりやすい解説
オゴタイ・ハーン国 (オゴタイハーンこく)
Ögödei ulus
オゴタイが自分の分封地を基礎に開いたモンゴル帝国内の一国。1224か1218-1310年。チンギス・ハーンの子弟分封の結果,オゴタイはタルバガタイ山脈の南,アラ・クル湖に流入するイミール川流域とその周辺のステップを領有し,イミール河畔にイミールという都城を築き,ハーン国の首都とした。オゴタイとその子グユクがあいついで帝国のハーン位についたのちトゥルイ家のモンケが大権を握ると,オゴタイ家の多くの者を謀反の罪で処刑し,軍隊を没収し,何人かに対してのみオゴタイ家領内に分地を与え,軍隊の保有を許した。すなわちトゥクトゥはイミール川流域に,ハイドゥはカヤリクに,カダンはビシュバリクに,メリクはイルティシ川上流域に分地を与えられた。ここにオゴタイ家は分裂状態に瀕し,軍事力もいちじるしく弱化した。このような状況下にあって,最も有能なハイドゥは自家の復興を強く望み,軍事力増強などに手段を講じていたが,モンケ・ハーン没後フビライとアリクブカがハーン位を争っている間にますます力を養い,オゴタイ・ハーン国をほぼ再統一し,1260年代後半にフビライに対して決起した。そして69年にはキプチャク,チャガタイの両ハーン国とともにタラス草原でクリルタイを開き,オゴタイ家を盟主とする同盟を結び,みずからは大ハーンに推戴され,モンゴル帝国のハーン位奪回を強力にすすめた。この挑戦は1301年にハイドゥが没し,その長男チャバルがオゴタイ家を継いだのちの03年まで続いたが,結局ハイドゥの願望は成就しなかった。それどころか無能なチャバルは,06年にチャガタイ家のドゥワによってオゴタイ家領を奪われ,09年に元朝に投降してしまった。そしてまもなくオゴタイ・ハーン国は滅んだ。西方4ハーン国中最初の滅亡である。チャガタイ・ハーン国はこれによっておおいに領土を広め,力を強めた。
執筆者:吉田 順一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報