オゴタイ・ハーン(読み)オゴタイハーン(その他表記)Ögödei Khan

百科事典マイペディア 「オゴタイ・ハーン」の意味・わかりやすい解説

オゴタイ・ハーン

モンゴル帝国第2代皇帝(太宗)。チンギス・ハーンの第3子。1229年大汗となりを滅ぼし,バトゥの率いる西征軍を発して南ロシアを征服。首都カラコルムを築き,駅伝整備,賢臣耶律楚材を登用して,帝国の基礎を固めた。
→関連項目オゴタイ・ハーン国グユク元朝秘史チャガタイ・ハーントゥルイモンケ

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改訂新版 世界大百科事典 「オゴタイ・ハーン」の意味・わかりやすい解説

オゴタイ・ハーン
Ögödei Khan
生没年:1186-1241

モンゴル帝国の第2代皇帝。在位1229-41年。廟号は太宗。オゴデイ・ハーンともいう。オゴタイハーン国の開祖。チンギス・ハーンの第3子。前代以来未解決の征服事業の達成を目ざし,ホラズム国を完全に滅ぼしてイランを平定し,1234年に親征して金朝を滅ぼした。内政面では,モンゴル高原に対しては井戸を開削して牧地の拡充を図り,家畜税を定め,農耕地帯に対しては戸口調査をして新税法を定め,税収の確保につとめた。また中央行政の強化のため中書省を設け,35年にモンゴル帝国の首都をカラコルム(和林)に築き,そこから領内各地に通じる公道を開いて駅伝の制度を充実させ,大版図の統治の円滑化を企てた。そしてクリルタイをカラコルムで開催し,ロシア方面への新たな征服活動の実施を決め,バトゥを総司令官として派遣して大きな成功を収めた。オゴタイは人となり温厚寛大で,みずからの政治の四功四過を語るというような面があった。
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とっさの日本語便利帳 「オゴタイ・ハーン」の解説

オゴタイ・ハーン

人間はよく生き、よく死なねばならぬ。それだけが肝要で、他は何の価値もない。あなたは、財産が人間を死から守ってくれると思っているのか。\オゴタイ・ハーン
モンゴル帝国第二代皇帝(一一八六~一二四一)。

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世界大百科事典(旧版)内のオゴタイ・ハーンの言及

【モンゴル帝国】より

…チンギス・ハーンはこのとき病死したが,以上の活動の結果,帝国の版図は内陸アジアを中心にいちじるしく拡大した。第2代のオゴタイ・ハーンは,34年に金朝を討滅し,36‐42年にバトゥにヨーロッパ遠征を行わせ,これらの結果,華北とロシアを版図に加えた。第4代のモンケ・ハーンは,52年にフレグに西征させ,イスマーイール教国とアッバース朝を滅ぼし,イラン・イラク方面を領土に加え,フビライに大理国を滅ぼさせて雲南を支配下に入れ,チベットを招降させ,別に高麗を属国化し,南宋征討を開始した。…

※「オゴタイ・ハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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