改訂新版 世界大百科事典 「キルヒホフ」の意味・わかりやすい解説
キルヒホフ
Gustav Robert Kirchhoff
生没年:1824-87
ドイツの物理学者。ケーニヒスベルクの生れ。生地の大学に在学中にF.E.ノイマンの影響を受ける。1850年にはブレスラウ大学で員外教授となり,ここでR.W.ブンゼンと出会った。54年にはブンゼンの招きでハイデルベルク大学に移り,75年にはベルリン大学の理論物理学教授のポストに就いた。科学上の業績は多岐にわたっている。1840年代の電信技術の著しい発展の中で,導体中の電流の問題が数多く論じられ,キルヒホフも,ノイマンの影響を受けて定常電流に関する研究を行い,オームの法則を一般化してキルヒホフの法則を導いた。57年には《導体中の電気の運動》という論文で,振動電流の伝搬速度は伝導体の性質には依存せず,光の速さに等しいことを示し,J.C.マクスウェルやL.V.ローレンツらによる電磁波と光波との同一性の主張に引き継がれた。一方,分光学に関する研究では,59年に《フラウンホーファー線について》という論文で,ナトリウムD線の暗線と輝線が同一の位置にあることを示し,このスペクトル線の反転現象を説明する中で,熱力学的考察から,熱平衡状態では物体の光の放射能と吸収能の比率は物質の性質とは独立で波長と温度の関数であるということを明らかにした。60年には入射する各熱放射を完全に吸収する黒体の概念を導入,その後の熱放射論およびプランクの量子論の基礎を作った。さらに化学者ブンゼンと共同し,分光分析が種々の元素発見のための一つの手段となるとの推論から,各種金属に特有な線スペクトルを数多く調べ,分光学を確立した。そのほか弾性論,熱学,力学にも業績を残しており,とくに76年出版の《力学講義》は19世紀後半の物理学者による力学批判の代表的著作であり,分子概念に基づかず,記述主義に傾くことで各物体の力学の一般的方程式を純粋な数学的考察で導いた。
執筆者:河村 豊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報