出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
外モンゴルのオルホンOrkhon川流域で発見された古代トルコ語碑文。復興期の東突厥(とっけつ)(突厥第二帝国)のビルゲ・ハガンと、その弟キョル・テギンとの紀功碑で、それぞれ735年、732年(ともに没後)に建てられた。このほか、この2人を助けた重臣トニュククがその生存中に建てた自分の紀功碑がトーラ川流域で発見され、また同様な古代トルコ語碑文がオンギン川流域そのほかから発見されているが、これらもオルホン碑文と総称される。いずれも突厥文字で記され、1893年にデンマークのトムセンが解読の鍵(かぎ)をみつけた。古代トルコ人が初めて自らの文字で記した碑文で、歴史学、言語学の研究に重要な資料である。
[護 雅夫]
外モンゴルのオルホン河畔で発見された突厥(とっけつ)文字で書かれたトルコ語碑文。東突厥の君主ビルゲ・カガンとその弟のキョル・テギンの紀功碑で,それぞれ735年,732年に建てられた。このほか,ビルゲ・カガン時代前半期までの宰相のトゥニュクク碑文(トゥラ川上流)をはじめ,突厥文字のトルコ語碑文はいくつかあるが,これらをオルホン碑文と総称することもある。現存するトルコ語最古の資料。
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…突厥文字で刻まれた碑文はほかにも,ウイグル帝国時代のものや,エニセイ川上流で発見された小さな碑文群があるが,これらをも突厥碑文ということがある。エニセイ川の碑文は一般にはエニセイ碑文と呼ばれ,先のビルゲ・ハガン碑文などに与えられたオルホン碑文という別名と区別される。しかしエニセイ碑文の碑面の作成年代に関しては,これをオルホン碑文より古いとする説と新しいとする説の2通りがある。…
※「オルホン碑文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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