カンボジア人民党(読み)カンボジアじんみんとう(英語表記)Kanakpak Pracheachon Prachor; Cambodian Peaple's Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カンボジアの政党。 1951年カンプチア人民革命党として設立され,ヘン・サムリン政権を支えた親ベトナム系共産主義勢力で,カンボジア和平に向けたパリ協定調印直前の 1991年 10月現党名に改称。結成大会においてこれまでのマルクス=レーニン主義路線を撤廃し,自由主義体制と複数政党制を承認する路線を掲げた。また仏教の国教化,旧統治制度の抜本的改革を提案。党組織についても,政治局を廃止して運営委員会を設立し,ヘン・サムリン議長に替えてチア・シムを党首に,フン・センを副党首に任命,体制移行をはかった。 1993年5月の制憲議会選挙では第2党となった。国家元首にシアヌークが就任し,同 1993年7月フンシンペック党と連立して共同首相制の暫定政府を発足フンセン副党首を第2首相に選出した。 1998年7月の総選挙では,第1党の座を獲得。

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百科事典マイペディアの解説

カンボジアの政党。1951年カンボジア人民革命党として創立。1979年にベトナムの支援でポル・ポト政権を倒し,カンボジア人民共和国を樹立した。カンボジア紛争の和平合意であるパリ和平協定の調印を控えた1991年10月の臨時党大会で,従来の社会主義路線を放棄し,複数政党制を導入する新綱領を採択。同時に現名となった。議長はチア・シム,副議長はフン・セン。創立者のヘン・サムリンは名誉議長。1993年5月の総選挙ではフンシンペック党についで第二党。1993年9月に制定されたカンボジア新憲法では,暫定的に5年間だけ2人の首相を置くことができることになっていたが,1998年7月の総選挙で第一党になり,11月フン・センが首相,フンシンペック党のラナリットは国会議長という枠組みとなった。→UNTAC(アンタック)
→関連項目カンボジア

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