カーマイケル(読み)かーまいける(その他表記)Stokely Carmichael

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーマイケル」の意味・わかりやすい解説

カーマイケル(Stokely Carmichael)
かーまいける
Stokely Carmichael
(1941―1998)

1960年代のアメリカ合衆国南部における差別撤廃闘争の指導者。トリニダード生まれ。11歳のときアメリカに移住。南部の人種差別撤廃を目ざす学生運動は、60年を画期に「座り込み」や「自由乗車運動」という非暴力的直接行動によって南部各地で展開されていったが、66年、この運動の中心的組織の一つ、学生非暴力調整委員会(SNCC)の第3代議長に就任。同年6月「ブラック・パワー」を唱道してアメリカ社会全体に大きな衝撃を与えるとともに、差別撤廃闘争を白人対黒人という対立構図のもとに分離主義的方向へと大きく逸脱させていく役割を演じた。69年、アフリカギニアに移住、クワメ・ツレと改名した。

[大塚秀之]


カーマイケル(Hoagy Carmichael)
かーまいける
Hoagy Carmichael
(1899―1981)

アメリカの作曲家、ピアノ奏者、歌手インディアナ州生まれ。大学生時代に仲間バンド結成。天才コルネット奏者ビックス・バイダーベック親交を結び、ジャズ感覚のある作曲をするようになった。代表作は『スターダスト』(1927)、『ロッキン・チェア』(1929)、『わが心のジョージア』(1930)など。俳優としても知られ、テレビ『ララミー牧場ほか出演した。

青木 啓]

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改訂新版 世界大百科事典 「カーマイケル」の意味・わかりやすい解説

カーマイケル
Hoagy Carmichael
生没年:1899-1981

アメリカの作曲家。ピアニストだった母の影響で早くから音楽に親しみ,インディアナ大学在学中にジャズ曲を作っていた。社会に出て法律の仕事につくかたわらバンドでピアノを弾いたり曲を書いたりしているうちに《スターダスト》(1927),《ロッキン・チェア》(1930),《わが心のジョージア》(1931)などがあいついで世に認められ,1930年代から40年代前半にかけて数多くの作品を発表した。映画音楽も手がけたほか彼自身映画に出演,戦後はテレビでピアノを弾きながら歌って全米に広く親しまれた。1951年アカデミー賞のベスト・ソング賞を受賞した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーマイケル」の意味・わかりやすい解説

カーマイケル
Carmichael, Stokely

[生]1941.6.29. トリニダード・トバゴ,ポートオブスペイン
[没]1998.11.15. ギニア,コナクリ
アメリカの黒人解放運動家。 1952年ニューヨークに移住。 60年ハワード大学入学後学生非暴力調整委員会に入る。 66年同委員会の議長に選出されブラック・パワーを提唱。 68年には,より過激な解放運動を繰広げていたブラック・パンサーの党首となった。翌年同党離脱,ギニアに移り,汎アフリカ主義に傾倒。のちガーナ,ギニア各国の独立に尽力した政治家エンクルマトゥーレの名前をとってクワメ・トゥーレ Kwame Toureと改名した。

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百科事典マイペディア 「カーマイケル」の意味・わかりやすい解説

カーマイケル

米国の急進的黒人運動家。トリニダード生れ。ハワード大学入学後学生非暴力調整委員会(SNCC)に入り,委員長(1966年−1967年)として公民権獲得運動から出発,ブラックパワーの旗印の下に白人に対する武力蜂起(ほうき)を唱え,ブラック・パンサー党を率いたが,1969年に辞任後,ギニアに移住。クワメ・トゥーレと改名,全アフリカ人民革命党を創設してパン・アフリカニズムを唱導した。

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