トゥーレ(読み)とぅーれ(英語表記)Ahmed Sekou Toure

デジタル大辞泉 「トゥーレ」の意味・読み・例文・類語

トゥーレ(Sékou Touré)

[1922~1984]ギニア政治家。西アフリカ全域にまたがる解放運動に参加。1958年の独立後は首相、初代大統領をつとめた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥーレ」の意味・わかりやすい解説

トゥーレ
とぅーれ
Ahmed Sekou Toure
(1922―1984)

ギニアの政治家、労働運動指導者。ギニアのファラナに生まれ、コナクリの職業訓練校を出て1941年に郵便電信公社(PTT)に勤務、労働組合運動に参加して、1945年通信労働組合書記長となった。1946年にはウフェボワニ、モディボ・ケイタとともに、西アフリカ全域にまたがる解放運動、アフリカ民主運動(RDA)の創設に参加、その支部であるギニア民主党(PDG)を組織して、1952年書記長に選任された。また1956年にはアフリカ労働総同盟(CGTA)、1957年には黒アフリカ労働総連合(UGTAN)を結成するなど、労働運動を推進した。1958年9月、ドゴール憲法の諾否を問う国民投票の際、「隷属のなかの富裕よりも、自由のなかの貧困を選ぶ」と演説し、独立を達成、ギニアの初代大統領となった。汎(はん)アフリカ主義、反新植民地主義の路線をとり続けた。1970年代末期から柔軟な外交路線をとり、イスラム圏諸国間の調停にもあたった。1984年3月26日、アメリカのクリーブランドの病院で急性心不全のため死亡。

[中村弘光]

『セク・トゥーレ著、小出峻・野沢協訳『アフリカの未来像』(1961・理論社)』『セク・トゥーレ著、小出峻・野沢協訳『続アフリカの未来像――国づくりへの理念』(1961・理論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トゥーレ」の意味・わかりやすい解説

トゥーレ
Touré, Amadou Toumani

[生]1948.11.4. フランス領スーダン(現マリ),モプティ
[没]2020.11.10. トルコ,イスタンブール
アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ。マリの政治家,軍事指導者。通称 ATT(アテテ)。暫定国家元首(在任 1991~92),大統領(在任 2002~12)とマリの国家指導者を 2度にわたって務めた。教師を目指していたが,1969年に軍隊に入隊,フランスとソビエト連邦で訓練を受ける。1991年3月26日,クーデタームーサトラオレ政権を打倒。トラオレは抑圧的な政策をとっていたため,トゥーレは民衆のために行動し,国に安定と民主主義をもたらしたとの評価を得た。1992年6月8日に国家元首を辞し,その後の 10年間は公衆衛生分野の仕事に従事した。1992年に風土病のメジナ虫症の撲滅を目指す団体の委員長に就任したほか,急性灰白髄炎(ポリオ)をはじめとする子供の病気の根絶運動やアフリカにおけるエイズ対策活動にかかわった。一方で,アフリカ大湖沼地域にあるルワンダやブルンジ,コンゴ民主共和国の紛争解決にも乗り出し,2001年にはクーデターの発生した中央アフリカ共和国に国連事務総長特使として派遣された。2002年に自国の大統領選挙に無所属で立候補,4月28日の第1回投票で最多得票,5月12日の決選投票で 40以上の政党の支持を受けて得票率 65%で当選し,6月8日に大統領に就任した。2007年に再び無所属で立候補,40以上の政党による政党連合の支持を受け,決選投票を待たず 4月29日に再選を果たした。しばらく安定な政権運営を続けたものの,マリ北部でトゥアレグ族系のイスラム反政府勢力が蜂起,トゥーレの対応に批判が集まり,2012年3月21~22日に国軍がクーデターを起こしてトゥーレを追放した。西アフリカ諸国経済共同体 ECOWASの仲介により,翌 4月8日正式に大統領を辞任した。病気治療のため訪れていたトルコで死去。

トゥーレ
Touré, Ahmed Sékou

[生]1922.1.9. ファラナ
[没]1984.3.26. クリーブランド
ギニアの政治家。 19世紀末にフランス植民地主義と闘ったサモリ・トゥーレの子孫。旧フランス領アフリカきっての急進的独立運動の闘士で,労働運動を基盤に独立運動を指導した。郵便局員時代に労働運動に入り,1950年フランス共産党系の労働総同盟 CGTの傘下のフランス領西アフリカ支部書記長に就任。この間,フランス領西アフリカの超地域的政党アフリカ民主連合 RDAに入党。 52年同党のギニア支部,ギニア民主党 PDGの書記長となった。 56年フランス国民議会議員に当選,57年1月には黒アフリカ労働者総同盟 UGTANを創設して書記長となり,アフリカの労働運動に独立自主の路線を歩ませる役割を果した。同年5月ギニア自治政府副首相,58年フランス第五共和国憲法に反対し,9月の国民投票で独立を選び,同年フランス共同体の枠外でギニアの完全独立を達成,初代大統領に選ばれた。その後 61,63,68,74,82年と6選している。 K.エンクルマのアフリカ統一運動に共鳴,ガーナから追われたエンクルマを手厚く遇した。マルクス=レーニン主義の影響を強く受けながらも,コミュノクラシーという独特のアフリカ的社会主義を発展させた。 60年レーニン平和賞受賞。

トゥーレ
Thouret, Jeanne-Antide

[生]1765.11.27. サンセールロン
[没]1826.8.24. ナポリ
フランスの聖女。 1788年ビンセンシオ修女会に入会。大革命によって 95年スイスに逃れた。 99年ブザンソンに愛徳童貞会を創立して慈善と女子教育に献身。祝日8月 24日。

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改訂新版 世界大百科事典 「トゥーレ」の意味・わかりやすい解説

トゥーレ
Sékou Touré
生没年:1922-84

西アフリカ,ギニアの初代大統領。マリンケ族の出身。19世紀末,フランスの侵略に抵抗した国民的英雄サモリ・トゥーレの孫といわれる。郵便労働者として1945年郵政労組を,48年ギニア労働総同盟を結成,50年フランス労働総同盟の西アフリカの責任者となる。労働組合を基盤に政治に進出し,1946年アフリカ民主連合結成大会に参加,47年短期間投獄される。52年ギニア民主党の書記長に就任。53年のゼネストを指導して影響力を拡大し,55年コナクリ市長,56年フランス国民議会議員に選出される。58年のフランス第五共和政憲法の賛否を問う国民投票では拒否をよびかけ,同年ギニアを完全独立に導き,首相,次いで大統領に就任。独立後,内外に急進的政策を進めるが成果をあげえず,政情不安に苦しんだ。60年レーニン平和賞受賞。
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百科事典マイペディア 「トゥーレ」の意味・わかりやすい解説

トゥーレ

ギニアの政治家。サモリ・トゥーレの孫といわれる。1952年ギニア民主党を創立して総裁となり,反仏独立運動を指導。1958年フランス第5共和政成立に際して,フランス共同体参加への拒否を呼びかけ,フランス領アフリカで唯一,ギニアを完全独立に導いた。独立とともに初代首相,1960年大統領となった。
→関連項目ギニア(国)

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世界大百科事典(旧版)内のトゥーレの言及

【植民の書】より

…内容は,870年ころスウェーデン出身の漂流者がこの島を発見してからキリスト教が広まるまでの約120年間にわたる歴史を記述する。その序文には,ギリシア時代から〈世界の涯(はて)〉として知られたティレThile(ギリシア語ではトゥーレThoulē)をアイスランドと断定した一文があり,同地を北方系ヨーロッパ人の幻の故郷とみなす伝説を生む源泉になった。またこの書物によれば,アイスランドの本格的植民は,ハーラル美髪王の国家統一を嫌った西ノルウェーの首長インゴールブル・アルトナルソンが874年にこの島へ移住したことに始まるという。…

【北極】より

…しかし,厚い氷の下に潜めば,衛星からも探知されにくいのは事実で,北極は原潜の訓練場になってきた。【八木沢 三夫】
【探検史】
 古代ギリシアでは極北の地をトゥーレThoulē(ラテン語ではThule,またとくにUltima Thule)と呼んで世界の北端と信じ,ヒッパルコスによればトゥーレ周辺は人間の住み得ぬ土地とされていた。しかし前320年ころギリシア人ピュテアスがマッサリア(現,マルセイユ)を出発し,ブリタニア(グレート・ブリテン島)を発見し,北方にあるこのトゥーレの探査を試みた。…

【ギニア】より

…19世紀にはトゥクロール族のハジ・ウマルが立ち上がり,セネガンビア地方からさらに東のニジェール川流域地方へと進出して,広大な領域を持つイスラム国家を形成した。ついで19世紀末にはマンデ系のサモリ・トゥーレが出てサモリ帝国を形成し,当時進出を開始したフランス植民地勢力に抵抗した。サモリは現在でも国民的英雄として愛されている。…

※「トゥーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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