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ガリア ガリアGallia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ガリア
ガリア
Gallia

ローマ人がガリア人と呼んだ部族 (ケルト人) が居住した地域の総称。ガリア・キサルピナ (キテリオル) とガリア・トランサルピナ (ウルテリオル) に2分される。前者はアルプス山脈以南,アペニン山脈ルビコン川以北の北イタリアで,前3世紀ローマの支配下に入り,前1世紀にはイタリアの概念のなかに入った。

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デジタル大辞泉の解説

ガリア(〈ラテン〉Gallia)

古代ヨーロッパ西部のケルト人が住んでいた地方をさすローマ時代の呼称。現在のフランスベルギーの全土とオランダドイツスイス・イタリアの一部にわたる。カエサルに征服されローマ領となる。ゴール

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百科事典マイペディアの解説

ガリア

今日のフランス,ベルギー,北イタリアなどをさすローマ時代の呼称。フランス語ではゴールGaule。住民はケルト人(ガリGalli)が主体。前3世紀初めから前2世紀初めにローマ人がその一部を征服,カエサルの遠征によりほぼ全域がローマ領となる。
→関連項目アキテーヌアッティラカエサルチザルピノ

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世界大百科事典 第2版の解説

ガリア【Gallia】

古代ローマ人が〈ガリGalliの居住地〉に与えた名称で,ガリとは,ギリシア人がケルタイと呼んだケルト人のことである。フランス語,英語ではゴールGaule,Gaul。地理的にはライン川アルプス地中海ピレネー山脈大西洋に囲まれた地域。新石器時代(前3000‐前1800年ころ)の住民はリグリア人系およびイベリア人系で,各地に巨石遺構を残した。ドナウ方面から到来したケルト人は前9世紀ころからガリア全土に広がり,前5世紀には最盛期に達して,優れた金工技術と独特の装飾様式をもつラ・テーヌ文化を残した。

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大辞林 第三版の解説

ガリア【Gallia】

ローマ時代、ピレネー山脈とライン川の間のケルト人居住地域を呼んだラテン語の古地名。ほぼフランスの領域に当たる。ゴール。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ガリア
がりあ
Gallia

地理的には、古代ローマ人がガリア人Galliとよんでいた人々(ケルト人)の住んでいた地域一般をさす。とくに、カエサル以降、ライン川、大西洋、ピレネー山脈、地中海、アルプスに囲まれた地方、ローマの古い属州ガリア・トランサルピナGallia Transalpina(アルプスのかなたのガリア)をさし、現在のフランス、ベルギー、オランダ、スイスにあたる。なお、ポー川以北の北イタリアも、ガリア・キサルピナGallia Cisalpina(アルプスのこちらのガリア)として、これに含めて考えることができる。
 最古の住民は、南部はリグリア人、イベロ人、その他の地方はケルト人であり、ケルト文化は紀元前900年から前500年にかけて深く浸透していく。なおケルト人は北イタリアにも侵入し、ポー川流域に居を占めた(ガリア・キサルピナ)。また前600年ごろマッサリア(マルセイユ)へフォカイア人が進出したのちはギリシア文化も広まり、さらに南ガリアはローマとの商取引も盛んとなり、ローマ文化の影響を受け、前125~前116年には属州ガリア・ナルボネンシスGallia Narbonensis(ガリア・トランサルピナ)が設けられ、ドミティア街道や、前118年には市民植民市ナルボ(ナルボンヌ)がつくられた。なお前2世紀末のゲルマン系のキンブリ・テウトニ人の侵入は、ローマの将軍マリウスによって撃退された。一方、北ガリアは、前58~前51年のガリア戦争によって、ガリアの地方長官カエサルに占領された。
 ローマ帝政期には、まずアウグストゥスがガリアをナルボネンシス(元老院属州)のほかに三つの元首属州(ルグドネンシス、ベルギカ、アクィタニア)に分け、ルグドゥヌム(リヨン)を統治およびアウグストゥス礼拝の中心地としたうえ、全ガリアの属州会議の開催地とした。ローマ化に対してティベリウス帝以降たびたびの蜂起(ほうき)がみられたが、植民市の設置、道路網の整備などローマ化が進められ、優れた詩人、文学者を輩出する一方、ルグドゥヌム、アレラテ(アルル)、トロサ(トゥールーズ)、ブルディガラ(ボルドー)、ケナブム(オルレアン)、ルテティア(パリ)などの町が栄え、ぶどう酒、穀物、食料品、織物、陶器、金属、ガラス器具の生産など経済発展も目覚ましかった。しかし、マルクス・アウレリウス帝のとき、ゲルマン人の侵入を被り、混乱、衰退が始まる。193年には一時ルグドゥヌムが落ち、その後もゲルマン人の侵入が続き、258年(259、260年説もある)~273年には、ライン川国境防衛のため「ガリア人の帝国」が設けられた。ついでディオクレティアヌスの帝国再建築のもと、ガリア管区(トリエル)とウィエンナ管区(ウィーン)が設置され、それぞれ8個と5個の属州に分かれた。
 2世紀以降キリスト教が普及したが、177年には大迫害がウィエンナとルグドゥヌムで起こり、その後も各地でキリスト教徒の迫害がみられた。また283年以降は、バガウダエとよばれる農民一揆(いっき)も起こり、5世紀前半には各地に広まり、一揆は世紀なかばまで続いた。4世紀にアラマン人、フランク人、ザクセン人が侵入し、多くの都市が破壊された。406年にはアラン人、バンダル人、スエビ人、ついでブルグント人、ゴート人、フン人が侵入し、418年には南ガリアに西ゴート王国が、443年にはローヌ川流域にブルグント王国が成立し、5世紀末にはガリアは完全にゲルマン人の支配下に入った。[長谷川博隆]

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世界大百科事典内のガリアの言及

【カエサル】より

…英語読みではシーザー。ガリアを平定してギリシア・ローマ文化をヨーロッパ内陸部にまでひろめる基礎を築き,内乱の勝利者として単独支配者となり,世界帝国的視野に基づく変革を行ったが,共和政ローマの伝統を破るものとみなされて暗殺された。ギリシア・ローマの歴史の流れを決定的に変えた大政治家。…

【ケルト人】より

… ケルト人は,インド・ヨーロッパ語系諸族の一支族として,前1500年ころまでには,ドナウ,ライン川沿岸の森林地帯に移動し,定着したとみられる。前9世紀以降,これらケルト人は,ヨーロッパ大陸各地に居住地を拡大し始め,その後数世紀間に,ライン下流を含むガリア全土,イベリア半島,ブリテン島,さらには北部イタリアから,一部は小アジアにまで達した。前750年から前500年にかけての時期に,ヨーロッパを覆ったハルシュタット文化が,ケルト人を主要な担い手とするか否かについては,見解が分かれるが,いずれにせよその時期に,ケルト人は鉄器使用の段階に入った。…

【フランス】より

…フランスの歴史とは,この長い文明形成の歩みをいうのであって,国家もまた文明を構成する一要素にすぎない。
[多様な人的構成]
 このガリア(現在のフランス)の地に人類の活動の跡を求めるとすれば,われわれは何十万年かの昔にさかのぼらねばならない。ここ100年ほどの間に急速に発展した考古学の研究によれば,このユーラシア大陸西端の地には,旧石器時代前期以来の人骨,石器が数多く発見され,氷河期と間氷期の間隙を縫うようにして,原初人類の活発な活動がみられたことが明らかとなっている。…

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