フランスの歴史家、政治家。中流家庭に生まれ、プロテスタントの母の影響を強く受けた。ドイツ思想にひかれ、ハイデルベルクに赴き、ヘルダーの『人間史の哲学の諸理念』の仏訳を公刊(1827)、ヨーロッパ各地を旅行し、いくつかの文学作品を発表した。1836年帰国後、コレージュ・ド・フランスの教授となり(1842)、友人の歴史家ミシュレらとともにイエズス会や教皇至上主義批判の講義を行い、そのためギゾー内閣によって講義停止を命ぜられた。1848年の二月革命後、代議士として政界に進出したが、1851年のルイ・ナポレオンのクーデターによって国外に亡命、ベルギー、スイスなどで文筆活動に従事した。論文『フランス史の哲学』(1855)、主著『革命』La Révolution(1865)ではフランス史を自由のための闘い、フランス革命をその重要な表現としてとらえ、専制を鋭く批判している。1870年の帰国後は、国民議会の議員として、政治活動を再開した。
[前川貞次郎]
フランスの歴史家。パリ大学在学中ヘルダーの《歴史哲学》のフランス語訳(3巻)を出して認められ,ミシュレと知り合い一生の盟友となった。ハイデルベルク大学に学び,1828年にはフランス学士院の指名でギリシア調査団に加わり,帰国後《現代ギリシアと古代世界の関係について》(1830)等を著した。33年寓意詩《アースベリュス》を出したが,〈さまよえるユダヤ人〉に人類史を語らせるこの叙事詩は後にランボーにも影響をあたえた。41年コレージュ・ド・フランスの〈南欧文学〉講座に教授として就任したが,43年イエズス会士についてミシュレと行った連続講義,翌年の政教分離の主張を含むウルトラモンタニズムの講義が原因となり,46年文相ギゾーにより講義停止の処分を受けた。48年二月革命後復帰し代議士となったが,ナポレオン3世の第二帝政(1852-70)の間は70年に帰国するまでベルギー,スイスに亡命した。その間著した《大革命La Révolution》2巻(1865)は代表作となった。死後30巻の全集が完成した(1877-82)。
執筆者:松原 秀一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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