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クラクシ クラクシ Craxi, Bettino

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クラクシ
クラクシ
Craxi, Bettino

[生]1934.2.24. ミラノ
[没]2000.1.19. チュニジアハンマメット
イタリアの政治家。ミラノ大学在学中から学生運動に加わり 1957年社会党中央委員,60年ミラノ市議会議員。 65年党中央執行委員,68年下院議員当選。 70~76年党副書記長。 76年7月社会党書記長に就任し,共産党と一線を画した社会主義を主張。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クラクシ
くらくし
Bettino Craxi
(1934―2000)

イタリアの政治家。ミラノ大学を中退してイタリア社会党の活動に専念。党内の自立派を代表する『エネルジーエ・ヌオーベ』誌に1956年以来協力。党中央委員(1957)、党中央執行委員(1965)、下院議員(1968)、党書記長(1976)、社会主義インターナショナルの副議長(1977)を歴任または兼任。書記長就任後、党の方針であった左翼連合の構想を放棄して中道左派路線への復帰をめざしたクラクシは、1980年代に入るとすべての政権に社会党から入閣させ、キリスト教民主党に対立する閣内諸党の核となることに成功する。その結果1983年から1987年まで最初の社会党主導の連立政権の首相になる。この長期政権はアメリカ合衆国との友好関係を維持しながらも、1985年秋の客船アキレ・ラウロ号乗っ取り事件では対米自立外交を貫いて国民の絶賛を博し、国内政策ではインフレ激化の元凶とされた物価スライド制賃金の改正を断行し、第二の「奇跡」といわれた経済ブームをよび起こした。クラクシは、財界首脳の格別の支持もあって、キリスト教民主党とほぼ対等の諸権益を党に確保することに成功したが、これらの特権はその後同党を汚職の泥沼に突き落とす結果を招いた。1992年11月まで書記長だったクラクシに対して同党が1985年から1992年まで、業者からの収賄を黙認した責任があることなどが問われるようになる。1993年7月、収賄容疑の追求を逃れるためにチュニジアに亡命。2000年1月、亡命先で死去した。[重岡保郎]

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