クリューガー(英語表記)Crüger, Johannes

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クリューガー
Crüger, Johannes

[生]1598.4.9. グロスブレーゼ
[没]1662.2.23. ベルリン
ドイツの作曲家,音楽理論家,オルガニスト。ウィッテンベルクで神学を研究,かたわら音楽を学ぶ。 1622年から生涯ベルリンの聖ニコライ教会のカントルをつとめた。数多い理論書を著わしたほか,ドイツ・プロテスタントのコラールの作曲家として傑出。モテト,マニフィカト,協奏曲などの作品がある。

クリューガー
Kreuger, Ivar

[生]1880.3.2. カルマル
[没]1932.3.12. パリ
スウェーデンの実業家。領事エルンスト・クリューガーの子として生れ,ストックホルムの王立工業大学で学んだ。アメリカにおいて財を築き,またスウェーデンのマッチ製造業を統合して国内のマッチ専売権を獲得し,巨大資本を蓄積して世界のマッチ王になった。彼の築いたクリューガー財閥を率いて,マッチの独占事業のほか,鉄鋼,パルプ,木材,建設などの事業に従事し,第1次世界大戦中および戦後,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランスに多額の資本投下を行なった。 1929年の大恐慌に続く世界的不況により,クリューガー財閥の株は暴落し,その収拾に努力したが成功せず,パリで自殺した。

クリューガー
Krueger, Felix Emil

[生]1874.8.10. ポーゼン(現ポズナン)
[没]1948.2.25. バーゼル
ドイツの心理学者。ライプチヒ大学教授,全体性心理学主唱者。 W.ブントの創造的総合の原理に基づき,精神生活の全体性を重視し,これを発達的見地から体系化した。主著『感情の本質』 Das Wesen der Gefühle (1928) 。

クリューガー
Krüger, Franz

[生]1797.9.3/10. ケーテン近郊グロースバーデガスト
[没]1857.1.21. ベルリン
ドイツの画家。ビーダーマイアー様式の代表的な作家の一人。ベルリン・アカデミーに学び (1812~14) ,のちに同校教授 (57) ,プロイセン宮廷画家となる。馬の表現にすぐれ「馬のクリューガー」の異名を得る。代表作『オーペルン広場のパレード』 (29,エルミタージュ美術館) 。

クリューガー
Krüger, Gerhard

[生]1902.1.30. ベルリン
[没]1972.2.14.
ドイツの哲学者。テュービンゲン大学教授。主著"Das Kostenproblem der Rationalisierung im Maschinenbau"(1932),"Erfassung und Verrechnung vom Ausschuss" (59) 。

クリューガー
Kruger, Stephanus Johannes Paulus

[生]1825.10.10. ケープ植民地
[没]1904.7.14. クラレンス
南アフリカのオランダ系移住民ボーア人の政治家。クリューゲルとも表記される。アフリカにおける絶頂期のイギリス帝国主義に抵抗したトランスバール大統領 (在任 1883~99) 。ボーア人農民の子として生れ,イギリスのケープ植民地支配を脱し,内陸部へ大移動してトランスバール共和国を建設したボーア人の間で次第に頭角を現し,1863年共和国の軍司令官に就任。 77年副大統領になったが,同年共和国はイギリスに併合され,80年反イギリス闘争の指導者となった。翌年イギリス軍に勝利を得て講和し,トランスバールの独立を回復し,83~99年まで大統領に4選された。 95年のジェームソン侵入事件以来圧迫を強めつつあったイギリスに対し,99年 10月最後通告を送り,ここに南アフリカ戦争 (ボーア戦争) が開始された。 1902年共和国はイギリスに併合され,クリューガーはオランダ,次いでスイス亡命した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

クリューガー

南アフリカに19世紀後半存続したトランスバール共和国(旧トランスバール州)大統領(1883年―1899年)。1864年トランスバール軍司令官となり,英国の併合政策に反対し,4度大統領に当選。ボーア戦争で諸国の援助を求めたが成功せず,スイスで客死

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

クリューガー【Stephanus Johannes Paulus Kruger】

1825‐1904
南アフリカのトランスバール共和国の大統領。1825年ケープ植民地クラドック地方に生まれ,36年のグレート・トレックでトランスバールに移住した。教育はほとんど受けず,トレックの最中とその後のアフリカ人との戦いで鍛えられ,63年共和国軍最高司令官に任命された。77年のイギリスによる共和国併合に反対し,使節として2度渡英したが交渉は失敗した。しかし第1次ボーア戦争(1880‐81)のマジュバの戦でイギリス軍に勝ち,共和国の独立を回復,83年大統領に選ばれた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

クリューガー【Stephanus Johannes Paulus Kruger】

1825~1904) 南アフリカのボーア人政治家。イギリスの侵略に抗し、トランスバール共和国大統領(1883~1900)になったが、南アフリカ戦争に敗れて辞職。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

クリューガー

(Paulus Krüger パウルス━) 南アフリカの政治家。イギリスのトランスバール併合に抗して、独立を回復し、トランスバール共和国大統領に就任。南阿戦争にかかわる失政で辞職。スイスで客死した。(一八二五‐一九〇四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

今日のキーワード

檄を飛ばす

自分の主張や考えを広く人々に知らせ同意を求める。また、それによって人々に決起を促す。飛檄。[補説]誤用が定着して「がんばれと励ます」「激励する文書を送る」という意味でも用いられる。文化庁が発表した「国...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android