グスタブ1世(その他表記)Gustav Ⅰ Vasa

改訂新版 世界大百科事典 「グスタブ1世」の意味・わかりやすい解説

グスタブ[1世]
Gustav Ⅰ Vasa
生没年:1496か97-1560

スウェーデン国王。在位1523-60年。グスタブ・バーサとも呼ばれる。バーサ朝(1523-1654)の祖(1544以後世襲制)。名門バーサ家に生まれる。クリスティアン2世(デンマーク王。カルマル同盟により形式上スウェーデン王位請求者)のため,人質の一人としてコペンハーゲンに送られる(1518)。1519年リューベックに脱出,翌20年にはグスタブの父をふくむスウェーデンの聖俗高位貴族がクリスティアン2世に虐殺されたいわゆる〈ストックホルムの血浴〉がおこるが難をのがれる。やがてグスタブは,スウェーデンに潜入し,ダーラナDalarna地方の農民,鉱夫(親方)を率いて蜂起。21年スウェーデン摂政となる。23年,国会Riksdagによって国王に選出され,同時にスウェーデンはカルマル同盟から離脱することになる。彼は近世国民国家の創設者であり,その歴史的使命は貧しい分裂した祖国の政治的・経済的独立と統一であった。デンマークからの政治的・軍事的独立は,リューベックの財政的・軍事的援助によったので,独立後,借金とハンザ同盟による貿易独占というリューベックへの経済的従属を生んだ。しかしハンザ同盟からの経済的独立は,36年にデンマーク王位継承戦争においてリューベックに勝利したことにより達成される。内政においては,農民軍でも傭兵でもない強力な陸海軍官吏制度(貴族の官吏化でなく俸給を支払われる官吏)とを創設し,その財源は教会財産(耕地とその地代,司教館と城,教会の鐘,銀器,最後に10分の1税)にもとめられ,教会のルター派化がなされた。それは実質的には1527年国会において,そして形式上は93年のウプサラ会議でなされた。官吏による統治は,増税と価格革命による物価上昇とあいまって,自治的農民軍の蜂起をくりかえし招くが,グスタブ1世は,硬軟の手段を駆使してすべて鎮圧に成功。農商工の振興,浮浪者に対する労働政策など,社会経済の全般に直接指揮をとった。グスタブ1世はすぐれた武人であるとともに雄弁とペンの人であり,果断であるとともに沈着であり,長い治世にあいついだ内外の難問をねばり強く解決した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグスタブ1世の言及

【スウェーデン】より

…その後デンマーク支配から脱却するためたびたび解放戦争を行ったが,決定的打撃を与えることはできなかった。 16世紀,貴族のグスタブ・エリックソンGustav Vasa(1496‐1560)がリューベック市およびダーラナ地方の農民の支援を得て,ついに1523年祖国を解放した。彼はグスタブ1世バーサ王として即位し,新教(ルター派)の採用,軍隊の整備,経済復興,国王の世襲制の確立など精力的に国力の回復に努めて同国の基盤を築き,バーサ王朝を開いた。…

【スカンジナビア】より

…早くからスカンジナビアの輸出産業となった鉄鉱業は,その歴史を農民の補充経済としてはじめられた。エンイェルブレクトグスタブ1世を支持したダーラナ地方の鉄鉱夫はこのような農民的性格をもっていたし,ハンザ同盟と対抗しつつ中世のバルト海交易を担ったゴトランド商人も専業者というよりは〈農民商人〉であった。 このような自由な土地所有農民(オーダル農民とよばれ,英語のfranklinに近い)は,バイキング時代後期から国家形成とともに徐々に分解を始める。…

【フィンランド】より

…1397年ノルウェー王ホーコン6世の妃マルグレーテの下でデンマーク,ノルウェー,スウェーデン3国の国家連合としてカルマル同盟が結成されたが,これもその後の内紛により崩壊した。これから離脱自立したスウェーデンのグスタブ1世(在位1523‐60)は宗教改革を断行してルター派を受け入れ,フィンランドにおける勢力を北方へ伸ばすとともに領内をルター派に改宗させていった。次いでヨハン3世Johan III(在位1568‐92)は1581年フィンランドを大公国に格上げしてロシアに対抗しようとした。…

※「グスタブ1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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