グラナダ(読み)ぐらなだ(その他表記)Granada

翻訳|Granada

デジタル大辞泉 「グラナダ」の意味・読み・例文・類語

グラナダ(Granada)

スペイン南部、アンダルシア地方の都市。1235年から1492年まで、イベリア半島で最後まで残ったイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国の首都となり、イスラム教徒の拠点として栄えた。アルハンブラ宮殿などがある。1984年、「グラナダのアルハンブラヘネラリーフェ、アルバイシン地区」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録(1994年に拡張登録)。
中央アメリカニカラグアの南西部、首都マナグアの南東約45キロメートルにある都市。グラナダ県の県都。ニカラグア湖の北西岸に位置する。1524年、スペイン人がニカラグアで最初に創設した町として知られ、植民地時代の建造物が多数残されている。

グラナダ(Fray Luis de Granada)

[1505~1588]スペインの宗教思想家。ドミニコ会士。主著「罪人の導き」は、慶長4年(1599)日本でも「ぎやどぺかどる」の題名で翻訳、出版された。

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精選版 日本国語大辞典 「グラナダ」の意味・読み・例文・類語

グラナダ

  1. ( Luis de Granada ルイス=デ━ ) スペインの神秘思想家。ドミニコ会士。本名ルイス=デ=サリア。その著「罪人の導き」のポルトガル語訳(Guía do pecador)は、天草版「ぎやどぺかどる」として邦訳された。(一五〇四頃‐八八

グラナダ

  1. ( Granada ) スペイン南部、アンダルシア地方の都市。シエラネバダ山脈の北西麓にある。一〇世紀イスラム教徒により建設され、のちナスル朝グラナダ王国の首都。周辺は豊かな農業地域で、穀類、ブドウ酒オリーブ油などを産する。アルハンブラ宮殿など遺跡が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラナダ」の意味・わかりやすい解説

グラナダ(スペイン)
ぐらなだ
Granada

スペイン南部、アンダルシア地方、グラナダ県の県都。シエラ・ネバダ山脈の北西麓(ろく)、標高685メートルの地にあり、グアダルキビル川支流ダロ川に臨む。人口24万0661(2001)。市街は三つの丘の斜面に広がる。イスラム時代の末期にはグラナダ王国の首都で、イスラム教徒の支配が長く続いたためその影響が色濃く残る。有名なアルハンブラ宮殿、1531年創設の大学、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世の墓がある大聖堂などのほか、歴史的建造物が多く、観光地となっている。平均気温は1月7.0℃、7月25.7℃、年15.5℃であるが、スペインの中では冬は寒い地方とされる。年降水量は529ミリメートルで乾燥している。イスラム時代に施された灌漑(かんがい)施設が維持・改善され、これを利用して付近の農地では果物、野菜、穀物などが豊富に生産されている。ぶどう酒、オリーブ油などの食品工業のほかに、織物、製紙工業がある。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

起源はローマ期以前の集落イリベリスにさかのぼるが、直接今日のグラナダ市につながるものは8世紀に築かれた砦(とりで)のガルナータで、イスラム期を通じてしだいに重要な都市に成長した。13世紀前半、キリスト教徒レコンキスタ(国土回復戦争)によってアル・アンダルス(イスラム教スペイン)の大部分が占領されたなかで、ムハンマド・ベン・ナスルがここにグラナダ王国(ナスル朝)を建てた。以後、約250年間、グラナダはイベリア・イスラム文化の最後の中心となる一方、北アフリカとの交易や国内産業の発展によって相当な繁栄をみた。ナスル朝の宮殿兼要塞(ようさい)であったアルハンブラは、歴代諸王の文芸愛好と盛んな経済活動の融合の所産である。

[小林一宏]


グラナダ(Fray Luis de Granada)
ぐらなだ
Fray Luis de Granada
(1504―1588)

スペインの宗教作家。俗名はルイス・デ・サリアLuis de Sarriaで、ガリシア地方出の貧しい家庭の子としてグラナダに生まれる。21歳のとき、母が洗濯女として働いていたドミニコ会修道院に入り、同会の要職をいくつか務めたあと、ポルトガルの管区長となり、リスボンで死去。キケロやクィンティリアヌスQuintilianus(35ころ―100ころ)の流れをくむ修辞色の濃い修徳書を書いたが、また同時に繊細な情感も持ち合わせており、スコラ的厳格さを旨とするドミニコ会よりも、むしろアウグスティヌス会やフランシスコ会的な作風をもっている。作品に『祈りと黙想の書』(1554)、『罪人の手引き』(1556)などがあり、後者は日本でも『ぎやどぺかどる』の名で1599年(慶長4)に抄訳された。

[佐々木孝 2017年11月17日]

『『覆刻日本古典全集 ぎやどぺかどる・妙貞問答・破提宇子・顯偽録』(1978・現代思潮社)』


グラナダ(ニカラグア)
ぐらなだ
Granada

中央アメリカ、ニカラグア南西部の都市。グラナダ州の州都。モンバチョ火山の北麓(ほくろく)、ニカラグア湖北西岸の標高57メートルに位置する。人口7万1783(1995)。1524年に建設された同国最古の古都で、1856年まで同国の首都であった。1663年には地震に、1856年には海賊による焼打ちにあっている。現在は、周辺の肥沃(ひよく)な農業地帯で産出されるコーヒー、サトウキビ、カカオの集散地で、食品加工業、繊維産業が立地する。コリントからマナグアまでの鉄道が通じていたが1994年に廃止された。

[栗原尚子]

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改訂新版 世界大百科事典 「グラナダ」の意味・わかりやすい解説

グラナダ
Granada

スペイン南部,アンダルシア東部の行政・文化の中心地で,同名県の県都。人口23万1577(2001)。都市の起源はローマ時代にさかのぼるが,イスラム支配下の時代,特にキリスト教征が1236年にコルドバを奪回して以後,ナスル朝グラナダ王国の首都として繁栄を極めた。13世紀に建造されたアルハンブラ宮殿,アラブ式庭園ヘネラリフェ,商工業を担ったユダヤ人やモリスコの居住区アルバイシンをはじめ,多数の史跡・名所がある。ナスル朝は15世紀末に内紛状態に陥り,再征服を推進するカトリック両王は,ナスル朝最後の王ボアブディル(ムハンマド11世)を降伏させ,1492年1月2日グラナダに入城した。これにより781年間のイスラム支配が終わる。カトリック両王はこれを記念し,グラナダに王室礼拝堂を建造した。そこに両王の墓が置かれている。スペイン統一以降,かつてのグラナダ王国からモリスコが追放され,グラナダは衰退していった。1873年にはスペイン南部の連邦主義運動の一拠点となった。内戦の際には,反乱軍によって共和国派の人々への激しい弾圧が行われ,グラナダの詩人ガルシア・ロルカはナショナリストに暗殺された。今日のグラナダは観光のメッカで,春のグラナダ国際音楽祭が毎年の観光シーズンの幕開けを告げる。イスラムの残した手工業も工芸品を中心に活気を取り戻している。
ナスル朝
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グラナダ
Granada

ニカラグア南西部のニカラグア湖畔にある同国第3の都市。人口7万9418(2005)。1523年にスペイン人の手で建設されたが,17世紀には,海賊にしばしば襲撃された。1857年にはアメリカの傭兵W.ウォーカーによって放火・略奪されている。植民地時代のいくつもの建物が残っており,家具,セッケン,織物,ラム酒などの製造業も盛んである。伝統的に保守派の拠点で,自由党の中心であるレオン市と政治的・経済的に対立してきた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グラナダ」の意味・わかりやすい解説

グラナダ
Granada

古代名イリベリス Illiberis。スペイン南部,アンダルシア州,グラナダ県の県都。ネバダ山脈の北西斜面,標高 685mに位置する。 1238~1492年ムーア人のグラナダ王国の首都として繁栄。地名は付近に多く産するザクロの木 (スペイン語でグラナダ) に由来するともいわれる。西に肥沃なグラナダ平原を見おろし,南は急流ヘニル川で限られる。グラナダ平原の農産物の集散地としてにぎわうほか,リキュール,石鹸,紙,繊維などを産する。多くの絵画や彫刻で著名なグラナダ大聖堂 (16~18世紀) ,統一スペインの祖,フェルナンド2世イサベル1世の墓所,16世紀に建てられた修道院やグラナダ大学など多くの歴史的建造物が現存。有名なアルハンブラ宮殿をはじめ 13~14世紀に建てられたヘネラリーフェ離宮アルバイシン地区は 1984年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 25万 4034 (1991推計) 。

グラナダ
Granada

ニカラグア南西部の都市。同名県の県都。首都マナグアの東南東約 40km,ニカラグア湖北西岸にあり,南にモンバチョ火山を望む。 1523年に建設された古い町で,北西のレオン市と政治,交易で競合しながら発展。豊かな町であったため,17世紀にはしばしばカリブ海からの海賊に襲撃された。現在同国主要都市の一つで,工業中心地となっており,家具,石鹸,縫製,綿実油,ラム酒などの工業が立地。典型的なスペイン風の町で,市街中心部は 1857年アメリカ人 W.ウォーカーにより焼かれたが,古い邸宅や聖堂なども多数保存,再建されている。太平洋岸の主要港コリントから首都を経て通じる幹線鉄道の終点で,パンアメリカン・ハイウェーから分岐する道路が通る。またニカラグア湖の船便の発着地。人口8万 8636 (1985推計) 。

グラナダ
Granada, Luis de

[生]1504頃.グラナダ
[没]1588.12.31. リスボン
スペインの作家,ドミニコ会士。個人的な敬虔をすすめた宗教的著作『罪人の手引』 Guía de pecadores (1556) は,西洋の書物の日本における最初の翻訳といわれる天草版『ぎや・ど・ぺかどる』の原典。

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百科事典マイペディア 「グラナダ」の意味・わかりやすい解説

グラナダ

スペイン南部,アンダルシア地方の同名県の県都。シエラ・ネバダ山脈北麓の豊かな農業地帯の中心地。繊維,製紙,皮革などの工業も行われる。アルハンブラ宮殿,グラナダ大学(1531年創立)などがある。10世紀に古代ローマの植民市イリベリスの跡に町がつくられ,11世紀イスラムのザイリー朝の首都となった。13―15世紀ナスル朝グラナダ王国の中心として繁栄。スペイン内乱でフランコ側に殺された詩人・劇作家ガルシア・ロルカの故郷としても知られる。24万1003人(2011)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「グラナダ」の解説

グラナダ
Granada

スペイン南部アンダルシア地方の都市で,シエラ・ネバダ山脈の北西麓に位置する。13~15世紀にナスル朝の首都として繁栄,アルハンブラ宮殿はこの時代の代表的建築物。グラナダを陥落させたカトリック両王は王室礼拝堂を建造,そこに両王の墓が置かれている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「グラナダ」の解説

グラナダ
Granada

スペイン南部,シエラネバダ山脈の北麓にあるアンダルシア地方の中心都市
10世紀にイスラーム教徒によって建設され,13世紀にコルドバがキリスト教徒によって奪われてからは,スペイン最後のイスラーム国家ナスル朝の都として栄えた。アルハンブラ宮殿もこの時期に建設された。1492年スペインに占領され,住民が宗教裁判で迫害されて以後衰えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「グラナダ」の解説

グラナダ Granada, Luis de

1505-1588 スペインの宣教師。
ドミニコ会士。ポルトガル管区長などをつとめる。おおくの修養的著作があり,なかでも「罪人の導き」は各国で翻訳された。日本では慶長4年「ぎやどぺかどる」の題名でキリシタン版として出版された。1588年12月31日死去。83歳。グラナダ出身。

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世界大百科事典(旧版)内のグラナダの言及

【ニカラグア】より

…低湿地にはワニ,トカゲなどの爬虫類が生息する。ニカラグア低地に人口の半数以上が集中しており,マナグアグラナダなど都市が多い。水資源や森林資源に恵まれているが,その開発は遅れており,未耕地も多い。…

※「グラナダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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