ナスル朝(読み)なするちょう(英語表記)Nar

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナスル朝」の意味・わかりやすい解説

ナスル朝
なするちょう
Nar

イベリア半島最後のイスラム王朝(1232~1492)。首都名をとってグラナダ王国ともいう。半島からムワッヒド朝の勢力が消滅後、コルドバセビーリャキリスト教徒の手に落ちたので、ムハンマド1世はカスティーリャの王への貢納に同意しつつグラナダに建国した。北方のキリスト教諸国とモロッコマリーン朝との力の均衡を保つという巧みな外交政策により独立を維持した。イスラム国家としての意識が強く、キリスト教徒支配地からのムスリム亡命者を保護し、アラビア語を公用語とした。西方イスラム文明の中心地として学問、芸術の輝きは失われず、ワジール宰相)でもあったイブン・アルハティーブらの偉大な学者を輩出し、またアルハンブラ宮殿が建てられた。アラゴンとカスティーリャ両国の合併で勢力を強めたキリスト教徒によって滅ぼされた。歴史家イブン・ハルドゥーンは一時この王朝の使臣として仕えた。

[私市正年]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナスル朝」の意味・わかりやすい解説

ナスル朝
ナスルちょう
Naṣr

スペインの最後のイスラム王朝 (1232~1492) 。創始者ムハンマド1世 (在位 1232~73) はカスティリア王国や北アフリカのマリーン朝に款を通じて同朝の基礎を固めた。首都グラナダは,スペイン各地で滅びたイスラム諸王国の学者の集るイスラム文明の一中心地として栄え,歴史家イブン・ハルドゥーンも一時,同朝の外交官として活躍した。グラナダのアルハンブラ宮殿イスラム建築の粋とうたわれている。スペインのキリスト教諸国が連合して強力になると同朝は次第に圧迫され,多くのイスラム教徒が北アフリカに逃れてスペイン=イスラム文化を移植した。 1492年グラナダがついにキリスト教徒の手におち,最後の君主がモロッコに亡命して同朝は滅亡した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android