ケープコースト(英語表記)Cape Coast

デジタル大辞泉 「ケープコースト」の意味・読み・例文・類語

ケープ‐コースト(Cape Coast)

ガーナ南部の港湾都市ギニア湾に面する。17世紀半ば、スウェーデンが城塞ケープコースト城)を建造したことに起源する。その後、英国に譲渡され、奴隷と金の交易拠点として栄えた。1821年から1874年まで英国領ケープコースト首都が置かれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ケープコースト」の意味・わかりやすい解説

ケープ・コースト
Cape Coast

西アフリカのガーナ南部,ギニア湾に面した港町。人口7万2000(1982)。現地語の地名はグアGuaもしくはオエグアOegua。セントラル州の州都である。貿易港であると共に漁業の中心にもなっている。首都アクラ西部の港湾都市セコンディ・タコラディとの中間にあって,ココアや柑橘類を輸出し,食料や建築材料を輸入する。1652年にスウェーデンが建設した城塞を母体として町が出現し,64年イギリスの支配下に入ってこの地方のイギリス植民地行政の基地となった。1877年までイギリス領ゴールド・コーストの主都であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケープコースト」の意味・わかりやすい解説

ケープ・コースト
けーぷこーすと
Cape Coast

西アフリカ、ガーナ南部の都市。セントラル州の州都で、ギニア湾に臨む。人口7万7400(2002推計)。1652年にスウェーデン人によって建設され、64年イギリスに譲渡された。イギリス領ゴールド・コーストの時代には同植民地の首都で、イギリスとの貿易の中心地として栄えた。1874年にアクラに首都が移り、20世紀初頭にアクラ、セコンディと内陸部のクマシを結ぶ鉄道が建設され、1962年にアクラの外港テマが建設されたため、ケープ・コーストの経済的機能は減退した。今日では貿易港としての役割はなく、漁業が主要産業である。国の特別記念物で、植民地時代の大砲などがあるケープ・コースト城、ケープ・コースト大学がある。

[中村弘光]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケープコースト」の意味・わかりやすい解説

ケープコースト
Cape Coast

ガーナ南部,ギニア湾にのぞむ港湾都市。セントラル州の州都。アクラ西南西約 125kmに位置。現地ではグア Guaまたはオエグア Oeguaと呼ばれる。気温は 21~32℃前後だが,多雨多湿 (湿度 90%前後) でしのぎにくい。 1652年スウェーデン人が城塞を築き,その周囲に町が発達。 64年イギリス支配下となり,1877年までイギリス領ゴールドコーストの首都,主要港,商業中心地であった。現在は商業,水産業,教育の一中心地で,大学もある。人口5万 7224 (1984) 。

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