コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

コボ Cobo, Juan

3件 の用語解説(コボの意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

コボ Cobo, Juan

1546-1592 スペインの宣教師。
ドミニコ会士。1588年フィリピンにわたり布教。天正(てんしょう)20年フィリピンに入貢を要求した豊臣秀吉への答礼使として,マニラ総督ペレス=ダスマリニャスから派遣され来日,肥前名護屋(佐賀県)で秀吉と会見。帰路台湾の沖で遭難,1592年11月同島の住民に殺害された。46歳。トレド出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

コボ

没年:1592.11(1592.11)
生年:生年不詳
スペインドミニコ会士。トレド県コンスエグラ生まれ。オカニャでドミニコ会に入る。アビラの聖トマス修道院で教師をしていたとき,東洋布教を志し,1588年フィリピンに渡り,中国語を学び,中国語の公教要理を編纂した。文禄1(1592)年4月豊臣秀吉が原田孫七郎をフィリピンに派遣し入貢を促したので,同地の総督ペレス・ダスマリニャスの要請により,書状を携えて同年6月薩摩に上陸,肥前名護屋(佐賀県東松浦郡鎮西町)で秀吉に謁した。帰任途中台湾沖で遭難し,島民により殺害された。<参考文献>C.ニエト著,久富紀子訳『ドミニコ会の愛と受難』,D.Aduarte 《Historia de la Provincia del Santo Rosario de la Orden de Predicadores en Filipinas,Japo´n y China》Ⅰ

(野間一正)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

コボ【Bernabé Cobo】

1580‐1657
スペイン人聖職者,クロニスタ(年代記作者)。15歳で故国を離れ,イスパニオラ島や中央アメリカを経て,1599年にペルーへ渡る。1601年イエズス会に入り,クスコで司祭に叙品。ペルー副王領を広く旅し,インカ帝国に関する情報を収集。中米を横断してメキシコを訪れ,ペルーに帰還後《新世界史Historia del Nuevo Mundo》(1653)を完成。3部43巻の大著で,現存するのは第1部14巻(アメリカの自然およびインディオについて)とリマ市建設の歴史を記した第2部の3巻のみであるが,文化人類学の研究資料として貴重である。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

コボの関連キーワードスペインドミニコドミニコ会ルエダスパニッシュドミニカドミニクストレド大聖堂組曲「スペイン」オルファネル

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コボの関連情報