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サモア サモア Samoa

翻訳|Samoa

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サモア
サモア
Samoa

正式名称 サモア独立国 Malo Sa`oloto Tuto`atasi o Samoa i Sisifo。英語では Independent State of Samoa。面積 2785km2。人口 18万4000(2011推計)。

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デジタル大辞泉の解説

サモア(Samoa)

南太平洋中部の火山性の諸島。西経171度線を境に、西側は独立国のサモア(人口19万 2010)、東側はアメリカ領サモア(人口5.8万 2006)。
サモア諸島西部を占める国。首都アピアドイツ領、ニュージーランド委任統治、国連信託統治を経て1962年に西サモアとして独立、1997年に国名をサモア独立国とした。人口19万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

サモア

◎正式名称−サモア独立国Independent State of Samoa。◎面積−2785km2。◎人口−18万8000人(2011)。◎首都−アピアApia(4万人,2011)。
→関連項目マウ運動

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世界大百科事典 第2版の解説

サモア【Samoa】

正式名称=サモア独立国Independent State of Samoa面積=2831km2人口(1996)=17万人首都=アピアApia(日本との時差=-20時間)主要言語=サモア語,英語通貨=ターラーTala南太平洋中部,サモア諸島の西部を占める島国。ドイツ,ニュージーランドの統治を経て1962年に西サモアWestern Samoaとして独立し,97年憲法を改正してサモアと改称した。総面積は鳥取県よりやや小さい。

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大辞林 第三版の解説

サモア【Samoa】

南太平洋、サモア諸島の主要部を占める立憲君主国。主な島はサバイイ島とウポル島。コプラ・バナナ・カカオなどを産出。1962年ニュージーランド信託統治領から独立。97年に国名を西サモアからサモア独立国に改称。首都はウポル島のアピア。主要言語は英語とサモア語。面積3千平方キロメートル。人口20万( 2005)。正称、サモア独立国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サモア
さもあ
Independent State of Samoa英語
Ml Sa'oloto Tuto'atasi o Samoaサモア語

太平洋中部、東半球ポリネシアにある群島国家。正称サモア独立国Independent State of Samoa。国土面積2935平方キロメートルは、神奈川県よりも若干大きい程度。人口18万5000(2006年推計)、18万8000(2009年、世界銀行)。ニュージーランド施政下の国連信託統治領であったが、太平洋島嶼(とうしょ)諸国のなかではもっとも早い1962年に独立を果たした。使用通貨はタラで、サモア語と英語を公用語にしている。首都アピアはウポル島の北海岸中央に位置し、人口は約4万。[小林 泉]

自然・地誌

18キロメートルの海峡を挟んでサバイイ島(1700平方キロメートル)とウポル島(1115平方キロメートル)の二つの火山島および七つの小島からなる。サバイイ島の最高峰シリシリ山は1856メートル。気温は21~30℃で5月から10月までが乾期、11月から4月までが雨期だが、冬にあたる乾期に南東の貿易風が吹くとかなり涼しくなる。比較的領土の大きなこの島では、植生豊かな土地を基盤にした伝統的なポリネシア人の暮らしが色濃く残っている。
 島の南側に位置するトンガとの間に日付変更線を斜めに通していたため、ほぼ同じ経度に位置するトンガと丸一日の時間的ずれがあった。これはかつて関係の深かった東側のアメリカ領サモアやハワイと同じ日付にするための配慮であったが、緊密関係にあるニュージーランドや隣国トンガ、オーストラリアとの交流上の不都合が大きくなったため、2011年12月に日付変更線を変えて西半球諸国と一致させた。独立時には国名を「西サモア」と称していたが、1997年に「サモア」に改称、右側通行だった道路交通を2009年にイギリス式の左側通行にするなど、これまでも国家的な大変更を幾度か実行してきた。[小林 泉]

歴史

南側の隣国トンガとの文化的結びつきが大きく、紀元900年ごろからの一時期にトンガの支配下にあったとの伝承が残っている。18世紀にはフランス人の探検家や貿易商が相次いで上陸した。19世紀に入ると数多くの西洋人が定住。また、イギリス、イタリア、アメリカからの宣教師らが次々に訪れてキリスト教の布教をした。19世紀後半になるとドイツの進出が著しく、イギリス、アメリカ、ドイツの三国は、部族抗争に明け暮れるサモアの有力族(酋)長を取り込みながら支配権獲得に奔走した。1899年末、三国間で条約が締結され、サモア諸島の東部をアメリカ、西部をドイツが統治することになった。イギリスは、ドイツがソロモン諸島およびトンガから撤退することを条件にサモア利権を放棄した。ここからサモア諸島の東西分裂の歴史が始まる。サモア諸島の東端にあるツツイラ島は、それ以来アメリカ領サモアとなっている。
 ドイツ統治になると、押さえつけられていたサモア内の部族抗争のエネルギーは、政府に抵抗するマウ(異議申し立て)運動へと転化する。この運動は、第一次世界大戦でのドイツ敗戦以後に施政国となったニュージーランド時代になっても完全には収まらなかった。第二次世界大戦後の太平洋島嶼地域では、かならずしも独立機運が高まらなかったが、そのなかでいち早く自治、独立への準備を進めたサモアにはマウ運動の流れがあったからである。
 国民の大半はポリネシア系である。身長が高く、彫りの深い顔立ちの人々を見た接触当初の西洋人は、彼らをコーカソイド人種だと報告していた。サモア人はアグレッシブで戦闘好きだとの評判もあるが、一方で冒険小説『宝島』の作家スティーブンソンが住み着いたことからうかがえるように、人々を魅了する陽気で友好的な気質を備えている。[小林 泉]

政治・社会

政体は国家元首が伝統4部族の長から選ばれる立憲君主制国家。2012年3月時点でトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィTuiatua Tupua Tamasese Efi(1938― 、在任2007~ )が元首であるが、独立時は4部族長のなかから1人に絞りきれず二人元首の時代が続いた。元首に実質権限はなく、議会の承認によって国事行為を行う。議会は一院制、議席数49の議院内閣制で議員の任期は5年。政府は首相と12人の閣僚で構成される。
 ポリネシアの伝統がいまも引き継がれているサモアでは、社会構造が政治、経済構造に密接に結びついている。拡大家族(父系あるいは母系にそって親と、結婚した子どもの家族が一緒に住むことで拡大する家族形態。拡張家族ともいう)「アインガ」の家長をマタイとよび、このマタイを中心に社会の構造が成り立つ。アインガは伝統社会の生産単位であり、共同生活単位であった。以前は、マタイにだけ選挙権が与えられていたが、1991年からは21歳以上のすべての国民が投票権を得た。ただし、被選挙権はいまでもマタイだけにある。例外として、選挙地盤をもたない欧米系などの移民者のために2議席だけは別枠で確保されている。
 ところが近年では、この制度が時代にあわなくなってきた。拡大家族や村の生産を指揮し、一族の秩序をつかさどるマタイが政治家や公務員となって国のために村を離れたり、海外に出たりするケースが増えたからである。指導者を欠いた村では補充が必要となりマタイ数は増え続けて2万5000人とも3万人ともいわれる。マタイ称号は政府に登録され、社会的名誉でもあるから、本来の任務が果たせなくなっても返上する者はいない。このように、近代と伝統との相克は国家的な悩みとなっている。それでも近隣諸国と比べれば内政は安定している。1988年以来首相を務めていたトフィラウTofilau Eti Alesana(1924―1999)は1998年11月に病気を理由に辞任を表明したが、その後継となった当時の副首相兼蔵相トゥイラエパTuilaepa Lupesoliai Sailele Malielegaoi(1945― )は、2012年時点でも首相の座を守っている。
 伝統色が強い一方で、キリスト教が浸透し、国民の大半がキリスト教徒(プロテスタント)である。学校教育も普及しているため、公用語の英語はだれもが理解する。旧宗主国ニュージーランドとの結びつきが強く、サモア人特別枠により毎年1000人以上がニュージーランドに移民している。
 教育はきわめて制度化されている。8年制の初等教育では、6年生まではサモア語で、7~8年生は英語で実施される。初等教育修了時に国家試験があり、これに合格すると5年制の中等教育課程に進学できるが、3年制と5年制の2コースに別れている。5年制コースを修了して国家試験に合格すると、大学進学資格が得られる。国内には南太平洋大学(本校はフィジー)の分校もあるが1984年に国立サモア大学が設立され、海外に行かずに高等教育を受けられるようになった。[小林 泉]

経済

国民の60%が自給的な農業や沿岸漁業に従事している。1990年代後半からは魚の輸出や観光業が経済に貢献し始めた。だが、2009年9月に発生したサモア沖大地震・津波の影響を受け、観光収入の減少や災害復興資金の需要により厳しい経済情勢となった。小規模な国内市場に加え、消費財の多くを輸入に頼るという典型的な島嶼的経済構造であるため、慢性的な貿易赤字を抱えているにもかかわらず深刻な経常赤字に陥らないのは、海外移住者からの送金や外国援助資金が流入しているからである。
 海外移民はサモア人移民枠を利用してニュージーランドへ渡り、そこからオーストラリアへと流れる。もう一つはアメリカ領サモアの親戚筋をたどってハワイ、アメリカ西海岸に渡る。この二つがおもなコースとなっている。人口の半数近くが海外に居住しており、彼らの本国送金額は国内総生産(GDP)の約2割に相当すると見積もられている。これにより国民1人当りのGNI(国民総所得)は2840ドル(2009年、世界銀行)と比較的高い水準になっている。[小林 泉]

日本との関係

国民的スポーツのラグビーを通じて、日本との交流が盛んである。55名(2009)の在日サモア人の多くはラグビー関係者である。日本からも青年海外協力隊をはじめとする援助関係者61名(2009)が在留している。対日感情も良好で、サモアにとって日本は最大の援助国である。2008年(平成20)までの累積ODA(政府開発援助)供与額は354.73億円、そのほか2007年には45.98億円の借款も実現した。日系企業が国内最大企業で、2000人超の地元雇用により自動車部品を製造してオーストラリアに輸出している。サモアは2009年東京に大使館を開設、日本は駐ニュージーランド大使館が兼轄する。[小林 泉]
『山本泰・山本真鳥著『儀礼としての経済』(1996・弘文堂) ▽鳩山幹雄著『「最後の楽園」サモアで暮らす』(2000・風媒社)』

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