西ポリネシア,サモア諸島の東半部で,アメリカの非併合領土。人口6万5500(2005)。主都パゴ・パゴのあるトゥトゥイラ島および他の六つの小島をあわせ面積197km2,淡路島の1/3である。いずれの島も中央部に高く山がそそり立ち,平地部分が少ない。熱帯貿易風気候で,1年を通じ高温多湿である。サモア人はポリネシア人種に属し,アウストロネシア語族ポリネシア語の一分枝としてのサモア語を話す。英語が普及しているが,家族内ではサモア語を用いており,政府も2ヵ国語教育をめざしている。1830年に始まる布教活動の結果,今日ほぼ100%がキリスト教徒を自認し,大多数は新教に属する。サモア諸島は東と西で二つの政体に分かれているが,これは19世紀末の帝国主義的世界分割のなごりである。主として経済開発を目的としていたドイツが西サモア(現,サモア)を,パゴ・パゴ湾に軍港を造ろうとしていたアメリカが東サモアを取ることで1899年に合意が成立し,1900年には海軍省の手により,ここにアメリカ統治が開始された。しかし第2次大戦後,東サモアは戦略的意味を失い,51年に内務省に移管され,60年からは漸次自治が認められてきている。一方,アメリカ政府による大規模な開発が始められ,首長を中心とする社会体制や大家族生活などの伝統的側面も残ってはいるが,社会全体が現金経済やアメリカ文化の影響を強く受け,識者の間では伝統文化および民族の独自性の喪失の危機が叫ばれている。最大の産業はアメリカ企業2社による魚缶詰工場で,これが輸出全体のほぼ9割を占める。住民は選挙権は持たないが,アメリカ国内を自由に移動できることから移住者が多く,アメリカ本土やハワイのサモア人人口は現地のそれを上回るほどである。一方,周囲の島々より数倍も賃金が高いため,現地ではサモアやトンガからの出稼ぎ労働者が多い。
→サモア[諸島]
執筆者:山本 真鳥
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南太平洋、サモア諸島のうち、西経171度以西のサモア(旧西サモア国)に対して、その東側にある島々をいう。東サモアEastern Samoaともいう。主島のツツイラTutuila島に首都パゴパゴがあり、以下、アウヌウAunuu島、タウTau島、オフOfu島、オロセガOlosega島、ローズRose島、スウェインズSwains島の7島からなり、タウ、オフ、オロセガの3島をマヌアManua諸島という。総面積197平方キロメートル、人口5万7291(2000)。その大部分がアメリカン・サモア人といわれる混血で、このほか、フィリピン人、韓国人、中国人などのアジア人と、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア人が住む。カカオ、バナナの栽培、マグロ漁業をはじめ、林業や酪農も行われる。1872年にアメリカ海軍の補給基地となったが、イギリス、ドイツなどと領有権争いが起こり、1889年のベルリンの会議で共同保護化、1899年西サモア(現、サモア)をドイツ領、東サモアをアメリカ領とした。
[大島襄二]
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…総面積2842km2,人口16万7000(1996),首都はウポル島北岸のアピア。一方,分離以来今日まで合衆国に領有されている東のアメリカ領サモアは,良港で主都のパゴ・パゴのある主島トゥトゥイラ島およびその東のマヌア諸島などの小島から成る。総面積197km2,人口5万9000(1996)。…
※「アメリカ領サモア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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