日本大百科全書(ニッポニカ) 「サモア諸島」の意味・わかりやすい解説
サモア諸島
さもあしょとう
Samoa Islands
南太平洋中部、ポリネシアの西端に位置する火山島群。西経171度線を境にして東側はアメリカ領サモア、西側は独立して独立国サモア(旧西サモア)となっている。東サモア、つまりアメリカ領サモアにはツツイラ島、マヌア諸島(タウTau、オフOfu、オロセガOlosegaの3島)、スウェインズSwains島などがあり、面積197平方キロメートル。独立国サモアはウポル、サバイイ両島およびその他の小島からなり、面積2831平方キロメートル。人口はアメリカ領サモア5万7291(2000)、独立国サモア約17万(2000推計)。
独立国サモアの住民はポリネシアでもっとも純血度の高いサモア人であると誇っているのに対し、東サモアの住民はアメリカン・サモアとよばれ、混血が多いとされるが、本来はまったく同じ人種が住んでいたものが、近世の歴史のなかで異質化されたものである。全域を通してココナッツ、バナナ、カカオ、木材を産し、コプラはサモアの重要な輸出品である。東サモアでは魚類缶詰工業が労働人口の15%を吸収し、全輸出額の90%を占め、ほとんどアメリカ向けに輸出される。サモアには、建設、ビール醸造、たばこ、缶詰などの企業が多い。そのほか、観光はアメリカ領および独立国サモア共通の大きな収入源である。
この諸島を初めて訪れたヨーロッパ人はオランダ人ロッヘフェーンJ. Roggeveen(1659―1729)で1722年のことであるが、68年フランス人ブーゲンビルがナビゲーターズNavigators諸島と命名した。19世紀に入ると、この海域の島々をめぐってイギリス、ドイツ、アメリカによる領有争いが起こり、いったん三国共同保護化を取り決めたのち、1899年、西経171度線によって二分して、東をアメリカが、西をドイツが領有し、南のトンガ諸島はイギリスの保護国(現在は独立国)となった。第一次世界大戦で西サモアはニュージーランド軍に占領され、同大戦後ニュージーランドの委任統治領、1947年からは同国の国連信託統治領となったが、61年5月に国連管理下で住民投票を行って独立を決め、62年1月、西サモアとして完全に独立、さらに97年7月国名を「西サモア」から「サモア」に変更した。1830年イギリス人宣教師によるキリスト教伝来後、全域がキリスト教化している。
[大島襄二]
住民
サモア人は人種的にも文化的にもポリネシア系に属し、皮膚は淡褐色、大柄である。西欧化の進んだポリネシアのなかでは混血も少なく、日常会話ではオーストロネシア語に属するサモア語が用いられ、演説や儀式、姻族間の儀礼交換といった習慣もその社会的機能を失っていない。独立国サモア(旧西サモア)とアメリカ領サモアでは、市場経済の浸透とそれに伴う社会変容の程度に違いがみられ、前者が農耕主体の半自給自足生活を営んでいるのに対し、後者は現金収入への依存度がかなり高い。しかしどちらの社会も、家長に率いられた伝統的大家族制を営み、家長の称号名の下に土地の共同保有を行っている。同じ文化に属するという認識は強く、国境を越えた通婚が互いに行われ、親族関係を通じて頻繁に往来がある。ほぼすべての人々はキリスト教徒を自認し、また識字率も高い。近年の著しい人口増加に伴って海外移民が急増し、今日ではアメリカ合衆国やニュージーランドに14万人以上のサモア人が居住し、コミュニティを形成している。
[山本真鳥]